朝に道を聞かば 夕べに死すとも可なり
一度聞くと忘れられないインパクトのある章句だ。
それは「死」という言葉が使われているということと、朝と夕という短い時間の中の物語であるということだろう。
朝、人はいかに生きるべきかを知ることができれば、その日の夕方に死んでもかまわない。
自分が目指す道に命をかける生き様を示している。
とはいっても、決して命を軽んじているわけではない。
「死すとも可なり」といえるほど、自分が目指す道は、遠く果てしない。
自分が命あるうちに到達できない道なのかもいれない。
けれども、それを目指す価値がある。命をかける価値がある。
そういうことだ。
それほどまで思う志を持てるということは、すばらしいことだ。
個としての志は、多様だ。
だが、道を「人はいかに生きるべきか」という言葉に言い換えるとするならば
誰もが向き合うテーマである。
人として生まれ、命を生きるとき。
この章句に向き合う日は必ず訪れる。
そして決してあきらめず、命をかけてこの命題を生きなければならない。
ど真ん中を生きる道も、まず志を抱くことが始まりとなる。
そして、いかに生きるべきかという問いへの自分なりの答えを探す旅。
それこそ、常に変化を恐れず成長していく姿だろう。
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