ニュー・アース
エックハルト・トール 著
時間を消去する
(父の日に息子が描いてくれたイラスト)
時間には、過去から未来につづく水平軸と、人生の深さを表現する垂直軸がある。
これは、憧れでもあり、社会に大きな影響を与えたアーティストが若くして生涯を終えたとき、
「彼は、人生の長さではなく、人生を深く生きることができたはずだ」
と、自分の感情を納得させるために利用したこともある。
人生には深さという垂直軸もある。 垂直軸には現在という瞬間を入口として近づくしかない。 だから自分に時間を与える代わりに、時間を取り除こう。
この言葉が、心に刺さった。
ここまで、「いまに在る」ことの大切さをずっと伝えてくれていたにも関わらず、それがなぜ大切なのかということを、身体感覚として腹落ちすることができていなかった。
頭で理解しているだけで、心で理解することができていなかった。
それが今回のこの箇所で、ぐっと前進できた。
人生には縦軸と横軸が存在する。
これはそんなに難しくもなく理解できる。
何かに没頭している時、またはその逆のとき、時間の流れに歪みが生じる瞬間がある。
その歪みこそ縦軸の人生の深さと関係していることは、経験から理解できていた。
ただ、今回の気づきは、人生の深さを生きようとしたとき、そこへの入口は、「現在という瞬間」にしかないということ。
過去にもなく、未来にもなく、現在という瞬間からしか、入れないのだ。
今という時間よりも、過去のある地点、未来のある地点のほうが重要だと思えている間は、目の前に人生の深さを生きるためのドアは現れない。
むしろ「今ではない瞬間」を意識するほど、エゴにエネルギーを与える結果になる。
10年近くつづけている修身を学ぶ会富山でも同様な話がある。
修身教授録
第14講 真実の生活
要約すると。
人は高価な鉱脈にたどり着くために、誰もが山のてっぺんに向かって登ろうとする。
それはなぜか。
高く登れば登るほど、価値の高い鉱石を掘り当てることができるからだ。
しかし、登り続けたところで、何も得ていないことに気づくべきだ。
山頂にたどり着いたとしても何も得られない。
なぜか。
掘らなければ、鉱石ひとつ得ることができないからだ。
大切なのは、上に登ることではなく、「この場所だ」というところに立ち止まり、横に向かって力の限りハンマーをふり、掘り始めることである。
いよいよ鉱石の発掘にとりかかろうとするには、どうしてもまず梯子段を上に登ろうという考えを「一擲」しなければならぬということです。
一擲(いってき)とは、ひとたびすべてを投げ捨てること。
あわよくば、もう一段梯子をのぼろうという気持ちを捨てる。
修身では、非常に厳しい言葉で書かれてある。
決心。
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