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人間と生まれて

  • 執筆者の写真: 浦井 啓子
    浦井 啓子
  • 2019年12月24日
  • 読了時間: 1分

 「一体いかなる力によって、かくは人間として生をうけることができたのか?」


 何度もこの問いを自分自身に投げかけてみたけれど、一度として見えてくるものはなかった。


 ただ、〝生きている自分〟という圧倒的なまでの現実を、ただただ受け入れることからしか始めることができないと思っている。


 そして、そのことに想いを巡らしている中から理解できたことがある。


 「生を受ける」こと自体、自分の意思とは関係がないばかりか、今もなお連綿と続いていくこの「命」が続いていることさえ、自分の意思とは関係がないということ。


 病気・事故・怪我・天災なども、自分の意思と直接は関わらないことによっていとも簡単に命を奪われたり、人生そのものが変容してしまうほど、人間という存在は無力だ。


 だからこそ、私たちは「生きている」のではなく、「生かされている」のである。私に「生」を与えし、大いなる力によって。


 「命」は天の意志である。


 

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