森のような経営 山田博、山藤賢 著 読了
久しぶりに「あの」感覚を思い起こさせてくれた本でした。
大学時代は、「あの」感覚のみを貫いていた気がします。
今はどうだろうか。
ありのままで居られる場所で生きる。
このキーワードは、これからとても大切になってくるのだろう。 働く場所にせよ、生活する場所にせよ、ありのままで居るかどうか。
この感覚的ではあるが、大事なモノサシを持つことは重要だ。
「居場所」という言葉があるが、この「居場所」という言葉の奥には、「分断」という感覚も同時にあるように思う。
ありのままで居る、という言葉は、居場所を作るという感覚とは違う。
居場所は、外に働きかけるイメージがあるが、ありのままに居るとなると、自分に投げかける言葉だ。
対人関係のみで居場所の居心地感を観るか。
あらゆる自然の営みも含め、その中のイチ生命としての自分と相手、この全体の関係性で見るか。
この人の手が関与しない世界をどう捉え、自分をそこに溶け込ますか。
ここの感覚の感度をもう少し上げたい。
そして、経営にどう組み込むか。
たぶん、多くの経営者にとって、大事なマインドと経営との融合への向き合う方が試されているように思う。
著書の中で、少し経営的な話で。
経営のおいて「美しい」という感覚がすごく大事になってきている。 これは数字の指標とは別物で、これからの経営において一番大事な指標ではないか。
「ここを目指そう」と部下をコントロールした時点で、ありのままのはずがない。
この2点に関して、とても同意するところだ。
ど真ん中エディットワークでは、自分にとっての「座右の問い」を考えてもらっている。
これを考える上で、正しさを基準とした問いではなく、「自分にとっての美しさ」を基準として考えてもらうようにしている。
あくまでも主観的な立場を大切にしている。
この美しさというキーワードで表現される、自分にとっての何か特別なカタチ、景色、空気、、ここの感度を高めることが、「ありのまま」につながっていくようにも感じる。
また、ひとつのゴールを設定してみんなを巻き込んだ時点で、ありのままが崩れてしまっているという感覚。
これ、前回読んだの本の紹介で、ミッション、ビジョン、バリューを考えた時に同じことを感じた。
つまり、ぼく個人の考えはまとめることができるが、これを会社全体に当てはめたらいいのではないかと、ふと思うのだが、どうも違和感が残る。
この違和感の正体がこれだ。
この著書の最後に大きな問いが設定されている。
「ありのままに生きるということは大切なのはすごくわかるのだが、その生き方がそもそも人類にとって、求められているのだろうか?」
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