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仁が必要な理由

月に一度の親子論語塾の日

今日は、もしかするとお芋掘りかなって思ってたんだけど、木の上に実っている柿をもぎとって、子どもたちは下でキャッチする日でした。


始めの書は、道。


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安岡先生が子どもたちに質問します。

「道という漢字で思い出すのは何?」


末っ子は「道路」ってこたえました。

別の子どもが「人生の道」ってこたえました。


論語には「道」の漢字が付く章句がたくさんあります。

そのひとつがこれ。


子曰わく、

道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。


「道には、目にみえる道と目にみえない道がありますね」

安岡先生がいろいろ解説してくれる。


「仁もそうです」

「仁は、目には見えないけど、日々の行いの中で仁が見えるようになります」


もし君が、10歳だとしても、20歳だとしても、50歳だとして、60歳だとしても。

後ろを振り返れば、そこには「道」ができている。

自分が歩んできた「道」。

その道を少しでも今からよくしていこうと志す。


正しい心をもち、思いやりを大事にして前に進む。

なぜ思いやりの心(仁)が必要かといったら、同じ道を志す友が必要だから。

でも、そればかりだと大変だから、芸事を学ぶときは、余裕と余白をもって取り組みましょう。


と、説明してくれました。



「道」の字がつく有名の章句がもうひとつ。


朝(あした)に道を聞かば

夕べに死すとも可なり


朝、道を理解できれば、もうその日の夕方には死んでも構わない。

そういった、すごく強い言葉が使われている章句だ。


裏を返せば、自分の人生がこれからどうなるのかを知ってしまったら、まったく面白くない人生になってしまう。

そういった意味も込められている。



未来に何が起こるか、誰にもわからない。

それでも、振り返れば、自分の道は確実にでき上がっている。

その道をこれからどんな道にするのか。

それは自分が作っていくしかない。

そのときに、徳と仁と遊が大事になっていく。



末っ子が発表した章句はこれ。


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人が道をつくるのであって、道が人をつくるのではない。

ぼくの大好きな章句だ。

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