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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

仁とコミュニケーション

今回の親子論語塾での最初の書は「礼」でした。


礼とは社会規範のようなものだと言われます。 ただ、社会規範といっても厳密なルールがある話ではなく、この場合はこんな風にしたほうがいいという暗黙知に近い内容。

 

たとえば、親が亡くなった時に、どれくらいの期間を喪に服すか。

古代中国では3年喪に服すことが礼であった。

喪に服すということは、3年間誰とも交流せず家にこもり、故人のために祈るような生活だ。

 

たとえば、商売をしている社長さんが3年間喪に服すとしよう。

そうなったらそのお店はどうなるか。

3年間もお店の代表がいなくなってしまえば、もう続けていくのは難しいのではないか。

 

でも社会全体が、その「礼」を受け入れており、だれもがいつなんどき、身内に不幸があり喪に服すことになろうとも、生活が成り立つような世の中のシステムがあれば・・・。

 

それが、徳をもって国を治める方法なのだそうだ。

孔子の考えだ。

 

では、礼はどう学ぶか。 それは、学校で学ぶものではなく、一番身近の大人の行動や習慣を見て学ぶもの。

大人の後ろ姿で学ぶものだ。



また、論語でもっとも大切にしていることに「仁」がある。 思いやり、慮る、慈しみ、親しみ、、いろんな意味がある。

この仁を大切にしましょうというのが論語の中心だ。


仁も礼と同様、学校ではなかなか教わることではありません。

先生と生徒の間、生徒と生徒の間、先輩と後輩の間。

ここに、仁と礼をどう育むか、、、なかなか今の教育の中では、学ぶことが少ないかもしれない。 でもこれがとても大切だと。 


今回、論語塾の先生が簡単な例を紹介してくれました。

たとえば子供たちが成長して、海外で学ぶ、仕事をすることをイメージしてください。 宗教も違う、考え方も違う、文化も違う、そんな人たちの中で、成長していくためには何が必要か。

それが礼と仁だ。


礼があり、仁があるから、人とコミュニケーションが生まれる、友ができる。

友ができることで、多くの学びを吸収することができる。

それが、異国の地では、学びの大きな差に変わる。



何か障がいがあるわけではないのに 「おれ、コミュニケーション苦手なんすよ~」 っていう人は、基本的に思いやりがないだけだ。

と、ばっさりと解説してくれるある動画を覚えています。



確かに、、。

日本の世界だけで礼と仁のことを考えると、ちょっと漠然としますが、バックボーンが全く違う人たちの中で生きることを考えたとき、礼と仁の大切さが、心に迫ってきます。



ど真ん中を生きるとは、周りに振り回されず、動じずに自分を生きる生き方のようで、ひょっとすると、礼や仁から少し距離を置くような生き方のように思える。


でもそれは全くの勘違いであり、本気であればあるほど、感謝の心が芽生え、礼と仁の大切さに気付いていく生き方なのだろうと思う。

ど真ん中がある、志がある、大志があるからこそ、礼と仁を重んじるようになる。

多様性を活かす世の中になればなるほど、礼と仁は大切になってくるのだろう。

そして、それをどこで学ぶのか。

それが問われている。

にしても上手に書道がかけました。末っ子の書。

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