修身を学ぶ会富山では、まず10分程度で修身教授録の1講を読み、次に感想を書く。
そして、仲間とシェアしあう。
そういった勉強会だ。
仕事の処理の方法は
①まず着手すること
②八割方の完成度を目指し、一気に仕上げる
③流れるように次々と処理をこなしていく
という3つの心構えがある。
ほとんどの仕事は、まさにこれを意識して行っている。
ただし、すべてがそのようにできるかというとそうではない。
なかなか手が付けられない仕事や、一気に仕上げようという気持ちになれない仕事がある。
それはなぜなのか?
できる仕事とできない仕事には、どんな差があるのだろう。
まず頭に浮かんだのは、何のための仕事なのか、仕事の意味が腑に落ちていない仕事。
これは確かに、モヤモヤしてしまう。
でもそれ以上に億劫になる仕事がある。
それは、相手の顔が見えない仕事である。
ただ、それは組織で仕事をしている以上、営業と製造というカタチで分業することで、どうしても相手の顔が見えないという状況は生まれる。
仕方がないことなのではないか。
しかし、それを言い訳にしてはいけないのかもしれない。
仕事に意味を与えることは、お客様だけではなく、それに携わる側にもできることなのではないか。
また、想像力を働かせ、相手を慮る力を養っていくことも大切だ。
どんなお客様が、何のためにこの仕事を依頼されたのか。
それをもっと深く感じることは重要だ。
と、、ここまで考えたことを仲間にシェアした。
すると一人ではまったく気づくことができなかったコメントを頂いた。
「大切なのは信用なのではないか」
「営業の方を信用できるかどうか、ここも重要なのではないか」
と。
これは、正直目から鱗だった!
そうか、ぼくの発想は、目の前にいる大切な営業という仲間のことを考えず、その先のお客様へ気持ちは向かっていた。
お客様のことも大切だ。
でも同様に営業がこの仕事をとってきて、ぼくに製作を依頼している。
であるならば、営業の仲間を本当に信用していることができていれば、
「営業のためにもいい仕事をしよう!」ってまず思うはずだ。
そんな当たり前の気持ちが薄れていることに気づかされた。
恥ずかしい!
自己中心的で自己満足的な答えを見つけただけだった自分の狭い心。
そして、チームであるはずの仲間のことを考えることができなかったことに強く反省した。
自分のやるべきことは何か。
改めて自分の心に問いかけたい。
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