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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

何のために学ぶのか

冉求(ぜんきゅう)曰わく、

子の道をよろこばざるにあらず。

力足らざればなり。


子曰わく、力足らざる者は中道にして癈(はい)す。

今女は画(かぎ)れり



冉求が言いました、 「先生の教えを認めない訳ではありませんが、我ら凡人には難しすぎるのです。」

孔子先生はこう答えられました、 「もしお前の能力が足りないというのであれば、お前はその道の半ばで力尽きるはずだ。」

「しかしお前はまだ始めてすらいない。」

「自分で自分の限界をつくっているだけだ」



孔子先生の時代は、学校がありませんでした。

何か学ぼうとしたとき、自分の住む地域に先生がいなければ、師を見つける旅にでなければならない。

そして師にであったのであれば

「何のために学ぶのか」

それを明確にまず伝え、共に住みながら学ぶ覚悟を示さなければならなかった。


決して、頭がいいわるいではなく、その道を求めるかどうか。

求める人にしか教えない。それが孔子先生の態度だったそうです。


では今の時代はどうだろうか。

人が求めてもいないのに、教えようとしてないか。

逆に、それほど覚悟がないのに、学びをえようとしてないか。



志。

志とは、心に強く思うこと。


1、自分は将来どうなりたいか強く思うこと。

2、それには私利私欲がないこと。

3、自らの心で思ったことかどうか。


小さな目標も大事。その積み重ねの先に、志がある。



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