日本文化の核心
松岡正剛
読了
この本の中で、実はぼくも心の中では思ったことがあったのですが、あまり深く考えてこなかった問いが書かれてあった。 さすが、本のタイトルどおりの核心的問いでした。
それは 「実は、修身より格物致知が大事なのでは?」 という問いだ。
修身は、ど真ん中名刺エディットワークの中心的な思想のひとつだ。 修身はもともと中国の「大学」にでてくる有名な言葉であり、明治時代に修身科が学校教育の中であったものだ。
大学ではこうある。
格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下
物を格してのち知至る。 知至りてのち こころばせ誠なり。 こころばせ誠にしてのち心正し。 心正してのち身修まる。 身修まりてのち家斉う。 家斉いてのち国治まる。 国治まりてのち天下平らかなり。
本書の説明をそのまま掲載すると
知を致すには、物に格ることをおろそかにしてはいけない。 物に格れば、しかるのちに知に到る。 知に到ってのちにこころが誠になり、そののちに心が正しくはたらく。 心が正しくはたらけば身が修まるところがわかる。 身が修まれば家が斉のう。 そうやって家が斉って初めて、国が治まる。 国が治まれば必ず天下は平らかになるだろう。
つまり、格物と致知を追求しなければ、正心も修身もないはずだ。
という問いなのだ。
では、格物致知とは一体どういう意味なのかということが重要になってくる。
こちらも本書では説明されている。
万事万象の物の出来ぐあいを弁別し、その上で知を活用しなさい。
あらゆるものことを正しく見分けろということだ。 言葉の意味の違い、奥行き、目に見えない部分の差異…。 仕事と働くの違い、義務と使命とは、勇気と覚悟とは。
その見分けができるようになった上で、知を活用すべし。 そういうことなのだろう。
ど真ん中名刺エディットワークに当てはめるとするならば、
自分という人間がいかなる要素で出来上がっているか、理解する。
血育ち教えだ。
まずそこからはじめよ、、その意味と合致するのではないか。
ど真ん中へ至り、そこから志、大志をカタチにしていく道があり、また次の世代に続く。
その歩みと大学は、こんな風に合わせて考えることができるかもしれない。
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