偉大な力と創造力
- yamashina shigeru
- 6 時間前
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A NEW EARTH
二巡目 第23週 振り返り
養蜂の話。
春に迎えた新群の女王が突然いなくなった。
1週間もすると、ミツバチたちがせっせと王台を作り始めていた。
女王が死に際に産んだであろう卵に、ローヤルゼリーを与え続ける。
次期女王になる卵が入った部屋は、通常の数倍以上の大きさになる。
それが王台だ。
立派な王台を5つほど発見した。
一番カタチの立派な王台を3つ、残すことにした。
残りの2つの王台を別の群に入れる。
別の群とは、昨年から越冬することができた群だ。
3年ぶりに厳しい冬を乗り越えてくれた群。
その群には、女王が生きている。
たぶん昨年の秋の終わりに生まれたのだろう。
そのまま交尾もできぬまま厳しい冬を超えた。
しかし、その女王は産卵をしない。
しないというか、できない体なんだと思う。
産卵をしない女王をそのままにしていると、女王のかわりにメスバチが卵を産み始める。
しかし、残念ながら、雄になる卵しか産めないのだ。
女王以外のメスバチは、交尾をしない。
雄の精子がないことで、メスバチを産めないのだ。
つまり、産卵できない女王がどんなに頑張って生きていても、その群に未来はない。
メスが減り、雄が増えていくだけ。
その群を救うべく、新群にできた王台を2つ投入した。
うまくいけば、同じタイミングで女王が産まれ、雄と交尾をし、産卵し始め、2群とも正常に戻るはずだ。
ミツバチたちは、ひとつの群、それ自体がひとつの生命体のような営みをして生きている。
役割分担をし、調和して生きている。
王台を複数残しているのは、リスクを考えてのこと。
王台をひとつだけして、健康な女王が産まれればラッキー。
しかし、もしそうでなければ…。
だからといって、複数匹誕生させると、その中で女王の座を巡って争いが生まれる。
どちらにせよ、最後に生き残れるのは一匹だけだ。
二日前に内検した。
5つの王台はどれも、ミツバチたちが一生懸命にお世話しているのが分かる。
王台に群がり、「何か」している。
越冬群の女王。
生きてる。
産卵のための穴にお尻を突っ込み、産卵をする素振りをし続けている。
その女王の姿を10匹ぐらいのミツバチたちが常に取り囲み、心配そうに女王の様子を見ている。
すごく健気な姿を観察することができた。
胸が締め付けられる思いだ。
女王は、穴を観察し、たまに顔を突っ込む。
その穴が問題ないと思いきや、お尻を穴に突っ込み、産卵しているような行動をしている。
産めないのに…。
いや、もしかしたら産めるようになったのか?
そんな気持ちにさせられる。
ぼくは観察者ではなく、養蜂家としての責務がある。
女王の命、ひいては、その群全体の命を握っている。
たったいましていることを第一に考えて時間を否定すると、内なる目的と外部的な目的、「在ること」と「行うこと」がつながります。(285p)
いまこの瞬間は常にシンプルで、その意味では常に小さい。しかし、そこに偉大な力が秘められている。いまこの瞬間と自分自身を調和させたとき、そのときにだけ、その大きな力にアクセスできる。 と言うよりも、その力のほうがあなたにアクセスし、あなたを通じてこの世界にアクセスする、と言うほうが正解かもしれない。
巣箱のある畑の周辺の雑草が生い茂ってきたので、草刈りを行った。
花びらを食べることができる植物も傍にあり、その花びらを使ったお茶を飲ませてもらったことがある。
それは大切に残した。
雑草の中に、すごくきれいに咲く花を見つけた。オレンジ色の強い花。
それも残した。
立派な王台と、そうじゃない王台
産めない女王と、正常な女王
メスバチと、オスバチ
王台を複数残し自然淘汰を信じることと、王台を選択しひとつだけにする
食べられる花と、それ以外の雑草
きれいな色の花と、それ以外の雑草
そこにどんな違いがあるというのだろうか。
インスピレーションが働くとき、そして情熱があるとき、単なる個人をはるかに超えた想像力が生まれる。(299P)
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