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偶然性の細い糸

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 4 日前
  • 読了時間: 4分

強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の

弱さ考

井上慎平 著

読了


ピーターカーニック「マネーバイアス」と一緒に読むことをおススメする。

何か明確な答えというか、問い続けられる本。




今回は紹介したい箇所がすごく多い。

文脈なく紹介することになるので、すごく読みずらいブログになる。



現代の世界は、「変化」を基軸としている。でも、人類は長い間ずっと「変化しない」を基軸として生きてきたのだ。

ぼくも散々、これまで変化すること、成長することが大切だと伝えてきた。

自分の言葉に違和感を感じたこともない。

 

ただゆっくりと「変化すること」「成長すること」という言葉を味わうと、自分の内なる声とのギャップを意識し始める。

ぼくの中に「変化しない」を基軸として生きている人を無意識に批判する心も存在するし、憧れる心も存在する。

両方あるのだ。

それは、内的な目的と外的な目的の違いのように思う。


憧れのまなざしとして「変化しない生き方をしているな」と思える時は、内的な目的と外的な目的が統合されている生き方に出会ったときかもしれない。



「一人残らず全員が、人の役にたたなきゃいけない」という規範があるとしたら、やっぱり何かがおかしいはずだ。人は役に立つために生まれてきんじゃない。

これまでのぼくは、やっぱり役に立つべきだという気持ちが強かったと思う。


人の役に立てないなら立てないで、別にいいはず

ふと、高校の卒業文章に残したヘルマン・ヘッセの言葉を思い出した。


自分自身をさがし、自己の腹を固め、

どこに達しようと意に介せず、

自己の道をさぐって進む、

という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存しなかった。

各人にとってのほんとの天職は、

自分自身に達するというただ一事あるのみだった。

詩人として、

あるいはキチガイとして、

犯罪者として終わろうと、

それは肝要事ではなかった。

肝要なのは、任意な運命でなく、

自己の運命を見いだし、

それを完全にくじけずに生き抜くことだ。

ほかのことはすべて中途半端であり、

逃げる試みであり、

大衆の理想への退却であり、

順応であり、

自己の内心に対する不安であった。

私は自然から投げされたものだった。

不確実なものへ向かって、

おそらくは新しいものへ向かって、

おそらくは無に向かって投げ出されたものだった。

この一投を心の底から存分に働かせ、

その意志を自己の内に感じ、

それをまったく自分のものにするということ、

それだけが私の天職だった。

それだけが。


高校時代、このヘッセの言葉のような生き方に魅力を感じていたことを思い出した。

もしかすると、これがぼくの原点かもしれない。

すこし、忘れかけていた感覚を思い出した。







現代を生きる中で問い直さないといけないテーマはまだまだある。

「時間」だ。


時間は「分配」されているものではなく、「生成」されてゆくもの。時間は、与えられたものとしてすでにあるのではなく、生み出していくもの。

時間が生成されるとはどういうことなのか。

ここに「対話とつながり」が結びつく。



その前に、もうひとつ問い直すテーマがある。

能力」だ。


どんな相互作用が人と人のあいだに生まれているかを観察できているか。能力は個と個のあいだに生まれるものだ。

能力とは、個が所有できる力ではない。

能力とは、個と個とのあいだに生まれるものだとしたとき、能力と同時に時間が生成される。


「自分」と「観察される対象」のあいだに関係性は結ばれる。関係性が結ばれれば、そこに時間が生成されていく。

原因と結果、手段と目的、現在から未来へ。

未来から今を捉える時間ではなく、今この瞬間と「観察される対象」との関係で、時間が生成される。


能力とは、未来に設定した目標をより速く、効率的に達成するための力。偶然を必然に変えていく力だと思われているかもしれない。

しかし、それは本当にそうだろうか。


脳が物語的に物事を理解するからといって、世界そのものも物語的だとはかぎらない。むしろ、明確に物語的じゃない。世界は、説明に組み込めない偶然性に満ちていて、予測なんて不可能だ。

未来は予測できないもの。


能力とは、個と個のあいだに生まれるものだとするなら、分配された時間を消費する生き方から、時間を生み出していく力だと言い換えることができるかもしれない。

そして、時間が生成されるのは、イマココの感覚で、観察される対象と関係性を結んでいくこと。

つながりだ。


では、つながりとは。


僕は弱い。そして僕の弱さは、他の人にもつながっている。


最後に、とあるテレビ番組を見て、著者がすごく感情的になるシーンが描かれていた。

ぼくはその感情を理解することができなかった。

うまく共感できなかったのだ。


著者とぼくを結びつける「偶然性の細い糸」に気づくこと。

きっと生涯をかけて学ぶ、ぼくの課題だと思う。

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