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執筆者の写真yamashina shigeru

共に旅する仲間が、ただ在る。

夢もなく、恐れもなく(5)


小島量子さんとのど真ん中名刺リニューアル風景

前回からのつづき。

違いに対峙することから、新たな軸を生きることに変容すべきなのではないか。

年齢的役割の変遷も関係している。

そんな話を前回していました。




(小島さん)

本業と副業のことしか考えてなかったが、年齢ということも関係するのだろうか。



(山科)

衰えていく肉体と共に生きる種として。

社会の中で生きる種として。

ホモサピエンスとして、歳を重ねることの意味はあるのだと思う。

ただ、年齢的役割の変遷を意識しつつも、そこに留まらずに自分の道を歩めるかも、大事。



(小島さん)

これまで、「違いに対峙し」の言葉にプラス何かを加えることを考えていた。


対峙しているときはひとり。

これから仲間が必要なのか。

それとも何が足りないのだろうか。


違いをどうしたいのか。

違いを力にすることができないだろうか。



(山科)

違いを力に変える」とは、すごく難しいテーマなように思う。


違いに対峙することまでは簡単。

自分の感情を素直に受け取って向き合えばいい。

 

違いというのは、自分の外の世界にあるもの。

外にある出来事、風景、人。


しかし、違いを力に変換しようとすると、外ではなく、自己との対話になるのだと思う。


「わたしは、なぜその違いに感情が反応するのだろうか」

「わたしは、なぜその違いに対峙しようと思っているのか」


自分の内面に向き合うことになる。

自分の中に、今まで自分では気づかなかった何かがあることに出逢うことになる。


まず、この自分の内面に向き合うこと自体が大変だろうし、それを力に変えていこうとすると、見たくない自分の影と対話することになる


違いに対峙することから、力に変えようとした瞬間、自分の外の世界の話ではなく、自分の内面の話になる


もしかすると、それこそ小島さんがやりたいことなのかもしれない。



(小島さん)

違いが力になるのは、結果なのかもしれない。

では何がしたいのか。


自分の外と中を融合させるイメージなのかな。

でも、融合させる一歩前に、何かしているように思う。

それは何なのか。


そして、それはひとりでやることではない気がする。

対峙だけなら、ひとりでできるのだが。



(山科)

たしかに。


対峙を力に変えていくために、自分の内面と向き合おうとすると、どうしても誰かの存在が大切になるように思う。

なぜならば、自分の無意識と対話するためには、自分ひとりで意識することがすごく困難だからだ。


(小島さん)

自分の内面に関わってもらうということは、お互いに変化を起きることになるはず。

相手も内面を見つめていなければ、お互いが深い対話ができないはずだから。


一緒に変わる。


最近自分の中に「キャラバン」と言う言葉が浮かんでいた。


旅はひとりで行けるが、キャラバンのように、リーダーのような存在はいるが、ひとりひとり違う目的があり、速度も違う、ゴールもないかもしれない。。しかし、つながりあっている。


共に旅する仲間が、ただ在る

ひとりではなく進んでいる。



つづく。


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