朝活大学素読会の様子を動画でアップしました。
所謂其の意を誠にすとは、自ら欺く毋きなり。
惡臭を惡むが如く、好色を好むが如し。
此を之れ自謙と謂う。
故に君子は、必ず其の獨を慎むなり。
大学の八条目の「その意を誠にす」というのは、自分が自分を欺かないということ。
悪い臭いを嗅げば、本能的に鼻をすくめ、キレイな色を見れば、きれいだと思う。
だからこそ、君子は、ひとりを慎む。
ここで紹介されている「慎独」という言葉。
誰も見ていなくても
誰も聞いてなくても
自己自身を慎んでいくこと。
ちょうど月刊誌「致知」に慎独について記事が紹介されていた。
木村光伯(木村屋總本店社長)さんのインタビュー記事だ。
アサヒビール名誉顧問の中條高徳さんから 「お天道様は見てござる」 この言葉をよく覚えておくようにと言われました。 つまり慎独、ひとりを慎むということです。 いついかなる時も正しいことを、道から外れないこと、 善行を続けなさい。そうすれば必ず隣に支え導いてくれる人が現われると。
お天道様は見ている。
この言葉は、日本人ならきっとどこかで聞いたことのある言葉なのではないか。
慎独に通じる言葉だ。
そして後半部分は、論語の言葉を引用されている。
徳は孤ならず 必ず隣あり
僕自身、この論語の章句でどれほど勇気づけられたことか。
自分が信じる正しい道を歩むと、どうしても孤独を感じることがある。
「自分を理解してくれる人は、誰もいなんじゃないか」
「本当にこのまま群れずに進んでいいのだろうか」
と。
しかし、「正しい道を歩み続ければ、必ず理解してくれる人が現れる」と。
これからも、この章句に助けられることがあるのだろう。
小人閒居して不善を爲し、至らざる所無し。
君子を見て后厭然として、其の不善を揜いて、其の善を著す。
人の己を視ること、其の肺肝を見るが如く然り。則ち何の益かあらん。
此を中に誠あれば外に形わると謂う。
故に君子は必ず其の獨を慎むなり。
つまらない人間は、暇な時間があると、どうしてもよくないことを考えてしまう。
それでも立派な人を見れば、反省し、自分の悪いところを隠していいところを真似ようとする。
しかしそれは、他人に見透かされているものだ。
ただ、逆もしかりだということ。
誠があれば、誠は外に表れ出す。
だから、君子は独りを慎むのだ。
人は、どうしても他人の欠点に目がいきやすい。 人の観察力を侮ってはいけない。
表面をいかに装ったところで、簡単にバレてしまう。
しかし、見方を変えれば、その逆も正なのだ。
独りを慎み、正しい道を歩もうとする姿勢は、ちょっとした言葉遣いや些細な行動に現れるもの。
そう考えると、観察する側も、表面ではなく本質を見るように心がけなければならない。
さて、「小人閒居して不善を爲し」とある。
慎独が大事なもうひとつの理由に、一般的には暇な時間があると、つい人は良くないことを考えてしまう習性があるということ。
この「暇な時間」以外にも、心掛けるべきことを記した言葉がある。
四耐四不訣(したいしふけつ)
中国清代末期の軍人、政治家である曽国藩の言葉だ。
耐冷 耐苦 耐煩 耐閑
不激 不躁 不競 不随
以成事
冷に耐え、苦に耐え、煩(はん)に耐え、閑に耐え、
激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したが)わず、
以て事を成すべし
世間の冷ややかな視線に耐え、苦しみに耐え、煩わしいがやるべき仕事にも耐え、孤独に耐える。
その上で、怒らず、さわがず、競わず、従わず、事を成す。
軍人らしい、厳しい言葉だが、真実でもある。
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