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国と家と恕

2週間に1度の、朝活大学素読会。

今回はここ。


是の故に君子は、諸を己に有して后、諸を人に求め、諸を己に無くして后、諸を人に非とす。 身に藏する所恕ならずして、能く諸を人に喩す者は、未だ之れ有らざるなり。 故に國を治むるには、其の家を齊うるに在り。

意味

君子は、自ら正しい道を行う、それから人にもこれを求める。

又、自ら誤った行をなくして後に、人の誤りを誤りとして改めさせる。

したがって、自分に恕の心を待たないで、よく人を諭し導くことのできる者はいない。

故に、国を治めるには、まず自分の家をよくととのえるところにある。



ここで思い出されるのは論語にある2つの章句だ。

何度も紹介しているが、改めて紹介する。



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子貢問いて曰わく

一言にして以って終身これを行うべき者ありや

子曰わく

それ恕か己の欲せざる所 人に施すことなかれ


弟子の子貢が先生にたずねた。

一生大事にする価値のある一言を教えてください。

孔子がこたえる。

それは「恕」だ。

つまり自分が人からされたくないことは行わない。

いやなことを人に押し付けたりしないということです。



曽子曰わく

われ日にわが身を三省す

人の為に謀りて忠ならざるか

朋友と交わりて信ならざるか

習わざるを伝えしか


弟子の曽子がいう。

真剣に人の相談相手になっただろうか。

友達にうそをつかなかっただろうか。

充分に理解していないことを人に伝えてはいないだろうか。

これらのことを、私は日に何度も反省しています。



この論語にある「恕の心」であったり、「習わざるを伝えしか」という反省であったり、誰もが油断するとしてしまうことを諭してる。

 


「大学」の文に戻ると、もっとも今回注目したいのは最後の文だ。

「故に、国を治めるには、まず自分の家をよく齊えるところにあるというのである。」


「大学」で伝えているのは、組織や会社の中での振る舞いを伝えているのではないということだ。

家族の中での振る舞いなのだ。


つまり、親子の関係の中でそれができてるかどうか。

兄弟の関係でそれができているかどうか。

夫婦の関係でそれができているだろうか。

自分の機嫌が悪いときに、家族に恕の心で接しているだろうか。

自分が疲れている時、病のときに、家族に恕の心で接しているだろうか。

何か大きな問題が起きた時に、家族に恕の心で接しているだろうか。

それを問われているのだ。


家の中での恕の心での接し方、それがととのってくれば国が治まるんだと。

すごく大きなテーマを語っていることが理解できる。

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