余白思考
山﨑晴太郎 著
読了
著者の名前が、漢字は違うのだけど息子と同じだというだけで、すごく共感しちゃいます。
いま、1年以上かけて数名とソース原理についての勉強会を続けています。
ソース原理にでてくる、ソースとサブソースの関係、クリエイティブフィールドの考え方にすごく似ているなと思いました。
ソース原理は、すごく天才的な視点で語られていますが、余白思考は、タイトルどおりというか、ストレスなく背伸びなく、「そうだな」って現実とうまく照らし合わせて読むことができました。
あ、いいなって思ったところを紹介します。
決断は自分自身の余白の中で、自分が主体のタイミングで行うことが大切です。
たぶん、この文だけでは意味がわからないと思います。
そもそも「余白」って何?ってなると思います。
ここでは心の余白、心がニュートラルな状態を保っているかという感じかな。
たとえば、影(シャドウ)にハンドルを握られている状態だったり、エネルギーがじゃじゃ漏れ状態だったり、そういったときに、大事な判断はしないということ。
世の中の風潮として、即判断することが良いという価値観があると思います。
その反面、ネガティブケイパビリティといって、早く答えを出して楽になりたいと思うけど、分からないことは一度保留にして納得するまで考え続ける力を養うことも大事だと言われます。
そういった中で、①余白の中で、②主体のタイミングで、判断する。
この説明はすごく分かりやすい。
日常の中で如何に心に余白を作るか、そんな意識になっていく。
リーダーから与えられた余白を生かせるのは、余白を恐れない人です。それはすなわち、自分でも余白を持っている人ともいえます。
いやあ、この言葉もすごく示唆に富む言葉だ。
ここで使われている「余白」というのは、物事がうまくいった場合とうまくいかなかった場合の幅のこと。
しかも、その幅が自分で責任がとれる範囲であること。
この余白の範囲内であれば、ちょっとうまくいかなくてもOK、遊んでもらってOKというライン。
お互いが、余白を愉しもうという姿勢がないと、コミュニケーションがうまくいかないの予想しやすい。
その前提として、お互いが余白をもっていることは、大事だ。
天候や生き物といった自然相手の仕事であればなおさらだし、突然起きるピンチやトラブルへの対応にも影響を与えそうだ。
人は誰しも、自分を守ろうとするときには「閉じる」ことを考えがちですが、本来は余白を「広げる」ことでこそ自分を守ることができる。
これは、まさにソース原理のソースとサブソースの関係でも同じことをいわれている。
もちろん、いろいろな前提条件はあるとして。
余白を広げるとは、「可能性を広げる」とも言い換えることができるかもしれない。
「多様性を理解する」と言い換えることもできるかもしれない。
自分とは異質なものと出逢うと、どうしても拒否反応を起こしやすい。
そのときに、扉を閉めることはすごく簡単なのだが、「余白」でいったん受け止める。
それができることで、これまでにないアイデアだったり、新たな自分の側面に出逢えるかもしれない。
ただ、ここで大事になってくるのは、なんでもかんでも受けとめるべきかといえばそうではない。
断固として守るべきラインがあること。
そのラインを乗り越えるられるのなら、きっちり拒否すること。
受け止めるのは、あくまでも「余白」で受け止めるということ。
自分の「コア」で受けとめようとしない。
ソース原理では、ソースはクリエイティブフィールドの境界線を守ることが、とても大切や役割だと書かれてあるが、それに通じる内容だ。
「余白」を活かしていくということは、裏を返せば、自分のど真ん中を明確にすることなんじゃないか。
その上で、抽象度を高め、自分の立ち位置をメタ認知していくことで、私と私たちの境界線を透明にしていく。
そのときに「余白」という言葉を活かすことで、変容していく過程にある混沌の中に、クッションのようなしなやかさを与え、広いニュートラルゾーンを生み出すことで、余裕を生み出すことができる。
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