君子は器ならず。
君子は一つの用途しかない器ではいけない。
器を使いこなせる人にならなければならない。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
とても短い章句ではあるが、ど真ん中を生きるという考え方を表現しているといっても過言ではない。
まずは自分の仕事に邁進する。
(ここでいう仕事とは何かという定義にもよるが)
ここからしか何も始まらないと思っている。
だが、それって、ひとつの器に収まることなのではないか。
たった一つの道を追求することになるのではないか。
そうなると、
「君子は器ならず」という章句とまるっきり逆になる。
どういうことか。
これはあくまでもぼくの見解だ。
自分の仕事に本当に邁進すれば、気付きがうまれる。
2つの気づきだ。
外側の気づきと内側の気づきと言ってもいい。
つまり、この仕事に邁進したからこそ、世の中にある課題に気づく。
NEEDSの発見である。
もうひとつが、この仕事に邁進したからこそ、自分は何に喜びを感じるのかに気づく。
ワクワク、WANTSの発見である。
であれば、実践すべき道が開かれる。
自分の仕事×気づきの道だ。
その道が生まれることで、変化と成長が生まれる。
この変化と成長は、最初から考えていた目標や夢とも違う。
縁と偶然の結びつきだ。
その変化を受け入れ、ど真ん中を生きる。
それこそ、「君子は器ならず」ということにつながるのではないか。
カタチある器を指すこともできるが、
自分の心にある「must」「needs」「wants」の3つをうまく使いこなし、
ただ使いこなすだけではなく、重ね合わせ、繋ぎ、新たな価値を常に生み出していく。
それこそ、「器ならず」ということになるのではないか。
短い章句にぐっと深い意味が詰まっているように感じる。
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