top of page
執筆者の写真yamashina shigeru

変化の兆し

第18講 人を植える道



親は、我が子の教育者になれるのだろうか?


そんな疑問が湧いてきた。


親の立場と教育者の立場は、違うように思う。

であるならば、親が見せてあげられることは、どこまでなんだろうか。



仕事柄もそうだが、僕自身がそれなりの年齢に達し、仕事や相談相手が自分より年下であることが、とても増えてきた。

教育者という立場ではないが、目の前の人にどれほどの気持ちで向き合えているのだろうか。


ど真ん中名刺のエディットワークや打ち合わせでは、まさに、10年先20年先の姿を思い浮かべながら作ることを心掛けている。

つまり、「ど真ん中名刺では」。

この「では」を使っているということは、すべてに関してそうでないということだ。

それは自覚するところだ。


何か自分自身の変化の兆しを感じることができた。

閲覧数:4回0件のコメント

最新記事

すべて表示

時間を超える

修身を学ぶ会富山 第3講 人生二度なし 「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。 自分は、この言葉にある「...

純真さ

修身を学ぶ会富山 第2講 立志 真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、障がいの根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。...

人の望み

修身を学ぶ会富山 第38講 置き土産 自分とは一体何者なのか。 それを問いつづけることが人生なのかもしれない。 自分は誰なのか。 肉体が自分なのか。 思考が自分なのか。 感情が自分なのか。 考えて、言葉にして、話しているのは、「ほんとうの自分」なのか。...

Comments


bottom of page