第18講 人を植える道
親は、我が子の教育者になれるのだろうか?
そんな疑問が湧いてきた。
親の立場と教育者の立場は、違うように思う。
であるならば、親が見せてあげられることは、どこまでなんだろうか。
仕事柄もそうだが、僕自身がそれなりの年齢に達し、仕事や相談相手が自分より年下であることが、とても増えてきた。
教育者という立場ではないが、目の前の人にどれほどの気持ちで向き合えているのだろうか。
ど真ん中名刺のエディットワークや打ち合わせでは、まさに、10年先20年先の姿を思い浮かべながら作ることを心掛けている。
つまり、「ど真ん中名刺では」。
この「では」を使っているということは、すべてに関してそうでないということだ。
それは自覚するところだ。
何か自分自身の変化の兆しを感じることができた。
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