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大いなる意味

第7講 大志を抱け


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自分の一生の志とは何か。

この10年、おそらく、この問いに向き合いつづけているように感じる。


ど真ん中名刺を作り始めたことも、その前に池田さんや上野さんと開催していた「本気で夢を宣言する会」も、この自分の志と向き合う時間だった。


では具体的な志があるかと言えば、自分が本当に納得した言葉になってない気がする。

 

もしも、これが納得した言葉で表現できたときは、すでにそんな人物になれた時なのかもしれないとすら思う。



昨日、高校の恩師が亡くなった。

ラグビー部の監督で、当時県内で連覇し続けた名監督だ。

ぼくらの世代も3年生の時は、県内無敗の成績で、花園に出場できた。


では、すばらしい先生だったかと問われたら、厳しく、縦社会の教えであり、生徒にとっては、練習で楽しいと感じたことのない経験だったように思う。

ただ怖かった先生という印象もあるし、それだけの言葉で言い表せない多くの体験をさせてもらった恩師あることは確かだ。

 

今振り返ると

長い人生の中の高校3年間という限られた時間で、富山という田舎、進学校という枠の中といった、かなり狭い価値観の世界の中で、大きな夢と他では味わえない体験をさせてもらえたことは、生徒たちの人生を見通したうえでの先生の意志だったのかもしれない。


その経験が、大学、社会人とスポーツを続けていく上で、大きな影響を与えたことは間違いない。



今、思うことは、自分や社会に降り注ぐいいこと、わるいこと、すべての出来事や人のご縁は、それを経験する自分に志があるのか否かで、全く違う捉え方になるということ。

 

志を抱くことの意味は、人生に大いなる意味を見出すことになることなのかもしれない。

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