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始まりも終わりもない

第4講 生命の愛惜


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「人生二度なし」

は、過去よりも、今ここから未来へ思いを馳せる言葉だ。

今ここから、人生をどう生きるか。


それに対して、

「生命の愛惜」

は、人間として生まれた奇跡にどれほど感謝できるか、命のはじまりに思いを馳せる言葉だ。

 

しかし、それは本当に難問だ。

あたり前であるものであればあるほど、感謝の心を表面的ではなく、心深く思うことができるかどうか。

これは正直一大事だと思えた。

 

人間が作り上げた文化や芸術の原点には、この生命の愛惜を忘れないようにする意志があるように思う。


私たちは、地球人、日本人としての大きな巨木の先端にある一枚の葉なのであれば、葉の命が尽き、土に還り、巨木の栄養となる。


この営みを考えた時、始まりも終わりもない。

だからといって、この人生は意味のないことだということではなく、巨木の栄養になるということは、この命が数えきれない多くの人々、多くの未来に、ほんの、ほんの少し影響を与えることとなる。

だからこそ、人生二度なしと自覚して生きることは、大切な責務なように思えた。

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