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始めることと捨てること

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

花魁セラピストVOL1(動画はvol2)


花魁セラピストの谷口かおりさんとのど真ん中名刺づくり。

前回途中でストップしていた名刺づくりを再開しました。


前回からのつづき、振り返り後半


目覚めよ、花魁。

かおりオカンのおもてなしぶる~☆すぷりんぐ


みんなの駆け込み寺紅蓮(愚連)堂




以前の対談で、かおりさんの過去の物語を聞かせていただきながら、覚悟を決めて、これからどんな未来を描いているのかを聴かせていただいた。

その内容を改めて振り返る動画になっています。


振り返り動画その1


今回も振り返りのつづき。


(山科)

前回の対談のときに、言葉に長けていることによる弊害について。

かおりさんの本当の核心に触れそうで触れられない感覚があるという話をしたと思う。


ぼくの体験を少しお話します。


コロナ前まで、ぼくがオーナーを務めるコミュニティスペース イーラボで定期的にあるイベントを開催していた。

ぼくはその横で、イベントに目配せをしながら、普段通り仕事をしていた。

その主催者が、毎回ぼくに同じことを問いかけてきた。


「よくずっと集中して仕事できるね」

「その仕事が好きなんでしょ?」


毎回問われるのだが、「この方はなぜそんな変な質問をしてくるのだろう」と思っていた。


自分の中では普通のこと。

あまりにも普通すぎることなので、なぜその行為が好きだと思われるのか、特別だと思われるのか、不思議で仕方がなかった。


たとえば、「なぜその仕事をしているのか」と問われたら、物語の主人公として雄弁に語ることはできる。


倒産の危機、社員のリストラ、家族会議、風評被害、そういった逆境があり、今があるんだと。

覚悟を決めた生き方としての物語を語れる。

つまり、覚悟が先にあるので、好きだからとか嫌いだからという感覚は、特に自覚していない。


なのに、その主催者は

「やっぱり山科さんはその仕事が好きなんだね」

と。


「ありがとうございます」と返事すればいいだけなのに、なんか毎回モヤモヤして、うまく返事することができなかった。

「好きというか…、覚悟の問題なんだけどな」と。



それが最近変化を起こした。


自分のこれまでの過去の物語が一切なかったとしても、きっとこの仕事をしている。

この感覚。

物語を捨て去ったとしても、今と同じ仕事をしている。



人は物語に執着してしまう。

それは他人に納得してもらうために語るには、起承転結として語ることになる。

それが、いつのまにか物語がその人にとっての真実となり、執着となる



かおりさんの話を聞いて、同じような気持ちになったんです。


きっと、かおりさんの物語を聞いて、多くの方が共感するだろうし、涙を流して応援してくれる人も現れるだろう。

でも、本質は物語の中にないのではないか。



(谷口)

はい。

過去の経験がなくても、今の活動をやっていると思う。



(山科)

以前、ど真ん中名刺をつくるワークショップをするとき、必ず物語を語るところから始めていた。

なぜど真ん中名刺をつくろうとおもったのか、ど真ん中名刺を作る方とどんな関係性を生み出したいかを。


それがあるとき、物語を語る意味はないということに気づいた。

別に相手に理解してもらう必要がない。


自分の物語を捨てることはすごく勇気が必要だった。

しかし、実際捨ててみると、何も変わらなかった。



覚悟を決めることで始めることができることと、覚悟を決めたからこそ捨てられること。

この両方があるように思う。



つづく。



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