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執筆者の写真yamashina shigeru

子どもは、そのことを気にしているか

人生の冒険者 VOL2(動画はVOL3)



人生の冒険者、高田樹さんとのど真ん中名刺づくり。

まずは、対話からスタートします。

前回からのつづき。



野球の楽しさとは何か


野球は、27個のアウトが決まっている。

その中で毎回ドラマがある。


特に高校野球は、1年から3年まで同じ電車に乗り込んで、同じ目的地に向かうイメージ。

その過程が野球の楽しいところ。


試合だけでは決まらない、チームスポーツの楽しさ。

同じ時間を過ごした運命共同体の中で結果がでること。

それが素敵だなと思う。




その喜びの感覚は、本業である教育でも同じかもしれないですね。

野球ではなくスポーツととらえた時、目指す過程は大事なことは分かるが、どうしたって勝敗がある。

そして、勝敗が一番の評価基準になる。

これは学校教育の問題にも近い気もする。

本当は評価軸が複数あれば、多くの子供たちを認めることができるが、評価軸はひとつである。

この勝敗についてどうか。


勝敗は大事だと思う。

ただし、小中学校までは、勝敗はどちらでもいいと思っている。

保護者も指導者も、トーナメントで勝っても負けても、子どもたちを同じように扱ってあげてほしい。


ただ、子どもたちが本気で負けたことに対して悔しいと思った時が、勝敗に対して指導するタイミング。


そのタイミングは、子供たち側にあるということ。


ほんまに勝ってすごいなと思うことは、負けた相手の悔しさをわかること。


だからこそ、勝った人が負けた人にとやかく言う。

負けた人が勝った人にとやかく言う。

そういう社会は、本当におかしいと思う。


「負けたのは審判のせいだ」

という子どもたちもいる。


これは大人が負けた理由を誰かのせいにして、らくをしようとしているからではないか。

その大人の姿を子どもたちが見ているから、そういった発言が生まれる。


本当に悔しければ、誰かを批判するのではなく、未来に目を向けることが正常はなず。




高田くんの「座右の問い」は


その決断は、自分や仲間を幸せにするか。

その決断は、自分がやりたいという情熱があるか。

人が近づいてくるのは、何か目的があるから。その目的は自分に必要なことか。

母さんに胸張って生きれるか。




高田くんの「志」は


変化を楽しみ、挑戦し続けられる人

人のために熱くなれる人

一緒に本気になれる人


「人」は、周りも人、自分も人。

自分(人)を無理して、周り(人)のためにすることがあるけど、そうなると自分が苦しくなる。

それは考えないといけないなと思っている。




座右の問いにある、人の言葉を一度疑うこと。

志にある、自分が無理していないかを考えること。

これは、社会の中で生きることを考えると、成長と呼べるかもしれない。

反面、要領よくなったとも言える。

ここに葛藤はなかったのか。


ある。

今まで秒で判断できていたことができなくなった。



ちなみに、子どもはそんなこと考えていきているか?

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