夢もなく、恐れもなく(5)
小島量子さんとのど真ん中名刺リニューアル風景
前回は、西洋と東洋の議論の違いの話をしていました。
自分の意見を変えずに相手を変えることを是とする立場なのか。
共に意見が変わることを是とする立場なのか。
(小島さん)
品質の仕事をしていたので、商品を出荷したい立場と出荷を止める立場の間で対峙していた。
この場合は、自分の意見を変えないことが善であるという立場で仕事をしてきたことになる。
年代が上の方と対峙するときは、共に変わっていきましょうと提案する立場で対峙してきた。
私はこれまで、どこか違うものが渦巻いている場所に行き、そこに身を投じることをしてきた。
そこの環境に居れば成長できる。
環境に対峙する生き方をしてきたのかもしれない。
過去を振り返っても、父と母の生まれの違いの中で育った環境でも対峙してきた。
年齢も上がってくると、環境の中に直接身を投じているからこそ、私が主役ではない気がする。
環境の中にいる主役は次の世代で、わたしはその邪魔をしないように支える、または、上の世代が邪魔しないようにする役割。
名刺の裏面に記載した言葉
「夢もなく、恐れもなく、旅の途中にある一瞬の均衡」
「夢もなく怖れもなく」は、ルネッサンス期イタリア、政治家であり文化人でもあったイザベッラ・デストが書斎の入り口にかかげていた言葉。
目の前で起きていることこそ現実だという、現実主義者として活躍した。
その思想と東洋的思想の間で対峙してきたともいえる。
「対峙」という言葉は、消すことではなく、新たな言葉を足すことになるかもしれない。
対峙しなくてもいい世界を支えるために、それを妨げるものがあるのだったら、対峙するだろう。
違いに対峙するだけではなく、私は何をしていきたいのか。
新しい軸になるものを見つけないといけない気はする。
(山科)
先ほどの発言の中で、「これからの主役は若者であり、わたしたちは応援側に回らなければいけない」と。
でも、人生で一番やりたいことに没頭できる時間というのは、40歳から70歳の間だともいわれる。
この30年こそ人生の正味であり、社会に貢献でき、仕事に夢中になれる時間。
では、20代から40代は何をすべきか。
この時期こそ、対峙する時間なんだと思う。
成功よりも対峙して試す時間なのではないか。
そう考えていくと、40代以降の世代はどうあるべきか。
若者を主役として応援するというより、失敗することは大いに結構なことであり、そういう経験があるからこそ、今があるんだということを示せるかどうか。
つまり、若者支援以上に、自分が人生をかけてやりたいことをやっているかどうか、それが一番大事なのではないか。
これは、年齢に関係なく、常に自分のビジョンを優先することは、大事なのかもしれない。
つづく。
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