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已むにやまれぬ要求

昨夜は、修身を学ぶ会でした。 修身教授録(森信三)の本を教科書とし、1講読んでは、感想を書き、発表をするという、一般的な読書会のようなものです。


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第15講 諸君らの将来


読書の大切さが語られている。 ではなぜ読書が大切なのか。 読書が大切だと聞いたから読むように心がけようではなく、なぜ大切なのかをしっかり腑に落とすことが大事だと思えた。


ただ、多くの人生をおもうように生きている人たちは、すべからく読書好きなのは事実なように思う。


真の読書とは、自己の内心の已むにやまれぬ要求から、書物の価値を吸収しようとすること

と書かれてある。

この「已むにやまれぬ要求が湧く生き方」。

ここに大いなる意味のヒントが隠されているように思えた。

ここに思いを巡らすと、「人生二度なし」「誠」という言葉に至るのかもしれない。


まとめると、読書を欲するということは、3つあるように思う。


1,一度きりの人生だという、深いところの自覚が芽生えたことで、大切に生きようと心から思えている。


2,だからこそ、誰かの道ではなく、自分の道を歩もうと決めた。そのとき、壁に向き合ったときにヒントを与えてくれるものこそ読書にある。


3,そして、欲をいうならば、世の中を今よりもほんの少しでも良くしたいという志を抱くこと。



この3つに当てはまる生き方をしようとしたとき、、。 読書は已むにやまれぬ要求になるのかもしれない。



読書とは、生き方。

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