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希望の隣り

いただきます。

人生が変わる「守衛室の師匠」の教え

喜多川泰 著

読了


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人は生まれながらに「思いやりの心・仁」をもっている。


これはあながち間違いじゃないと思っていて。

たとえば、ホモサピエンスの生存戦略だったり、赤ちゃんのときに見返りのない愛情を注がれる経験だったり、先天的後天的に備わっている力のようにも思える。


「仁」は結果的に自分のためになるのだろうが、「ありがとう」という言葉同様、他者との関係がなければ、存在できない力だろう。

思いやるには、思いやる相手が必要だ。


そうなると、他者とのコミュニケーション力・つながり、自分と環境との関係に、大きな影響を受けそうだ。


本当は、他者や環境に振り回される必要はないのだろうが、ちょっとしたことで躓くことがある。

なぜつまずくのか。

それこそ、「仁」があるからこそなのだろうが…。



その躓きが、本来ある「仁」の力を覆い隠した生き方をさせてしまうこともある。

これは、多かれ少なかれ、誰もが経験したことがあるのではないか。

しかし、その見た目の生き方の奥には、常に「仁」があるということ。

むしろ、「仁」があるおかげで、そういった生き方をしているということ。



自分の心にある鏡が曇り始めた最初の出来事を静かに思い出す。

思い出した瞬間、曇って光を放っていなかった鏡が一気に輝き始める。


それこそ希望のように思う。

誰かの気づきの呼び水になる生き方は、誰かの希望の星になることなのかもしれない。



論語の章句

我、仁を欲すれば、斯に仁至る

すばらしい人に出会い、呼び水となる言葉に出会い、「自分も思いやりの心があればいいな」と願う。

次の瞬間、「ぼくなんか」「わたしなんか」「どれほど時間をかけて学ばないといけないのだろうか」「どうせ無理だ」と、いろんな思考が生まれてくる。


しかし、孔子は言う。


仁が欲しいと思った瞬間に、もうあなたの心には仁がある。

なぜなら、仁はすでにあなたの心にあるものだから。


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