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執筆者の写真yamashina shigeru

師はなぜ必要か

久保さんから紹介いただいた本 自分を壊す勇気 立川志の春 著



師はなぜ必要なのか

この問いに対して、参考になるということで、久保さんから紹介いただきました。

まだ、僕の中でうまく解釈しきれていませんがまずは言語化を試みる。



この「師はなぜ必要なのか」を考える前に、「人として生まれてきたのであれば、どう生きるか」というテーマが根底にあるように思えた。


さらに言うと、この問いの裏側には、「人と動物の違いは何か。」「その違いを理解した上で、動物ではなく、人間ならではの生き方とは何か?」ということになるのだろう。


そのひとつが「志」を抱いて生きるということなのではないか。 志を抱けば、自ずと先達たちの「道」を知ることになる。 道を知れば、「師」と出逢う。


そういうことなのかもしれない。

そう考えるのであれば、「なぜ師が必要か」という問いの設定自体が間違いだということに気づく。 志を抱き、道があることに気づけば、自然に「師」と出逢うということなのだろうか。



では、「師」とはどういった存在であるのか


ここで、ど真ん中エディットワークで最初に取り組んでもらう「血・育ち・教え」の話になりそうだ。


血  = ルーツ、先祖 育ち = 幼少の頃の両親からの影響 教え = 大人になって社会の中から得た影響


自分という人間は、この血と育ちと教えで成り立っていると言われている。

これは、当たり前すぎて考えないことだが、確かにそうだろう。


現代の研究では、人の幸福度に対して、血と育ちが5割以上の影響を受けていると言われている。大人になって持続的にコントロールできるのは3割程度で、残りの2割程度は、突発的出来事による幸福なのだそうだ。


その中で「師」の役割とは何か。

「型」を通して、自分を作り上げている「血」と「育ち」からくる影響をぶっ壊すことなのかもしれない。 自分の人格を形成している血と育ちをぶっ壊して、再構築させる その役割が「師」なのかもしれない。


この血と育ちをぶっ壊すことで、血と育ちの影響を超えて、本当の自分の世界を作り上げることなのだろう。



この師の役割は、人間の一生を20年ごとに分けた人生の役割の変化に似ている。

20歳までは、血と育ちと教えの影響を存分に受けて生きる時間だ。

この時期に、自分は将来どんな人間になるんだと、志を抱く時でもある。

ある意味、この時期のゴールは、志を抱くことだろう。

自分となる時間。


次の20~40歳までは、修行と挑戦の時間。

つまり、20年かけて積み上げて作った自分を作り上げている要素を一度壊す時だろう。

自分の存在にもっとも影響しているの、血と育ちだ。

だが、血と育ちの責任にして自分を生きるのは、少し違う。

自分の「血」は、こうだから、こうなんだ。

自分の「育ち」は、こうだから、こうなんだ。

そうやって、血と育ちに責任を転化し、負のエネルギーを生きる力に変えるのは、あまりいいとは言えない。

血と育ちを理解して、なお、そこにある「アク」を排除し、捨て去り、本当の自分は何だと。ここに向き合う時間だ。

だからこそ、この時間は、修行であり、失敗を恐れずいろいろ挑戦していく時期となる。

20年かけて積もったチリを、同じく20年かけて掃除する感覚だろう。

 

40~60歳は、生物としての人間の心と身体が一番充実している時期となるはずだ。

この20年間で、どれほど本気で仕事に没頭できるか。

この時期こそ、社会に大きな影響を与えることのできる大切な時間になる。

この20年間を充実させるために、その前の20~40歳の修行時間があるといっても過言ではないだろう。

その本気で働く姿が、若い世代へ影響を与える。

両親以外で子供たちに大きな影響力を与える存在である。

 

60歳以降。

この時期になると、単に仕事に向き合うだけでは足りない。

まずは、迷わず素直に仕事に向き合う姿勢が、そのままど真ん中を生きている状態になっていること。

そんな生き様が理想なのだろう。

そのうえで、若者の修行時代(20~40歳ぐらい)のよき理解者として、やさしくもあり、厳しく、アク抜きのお手伝いをする役割があるだろう。

ここに「師」の役割がある。

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