top of page

平常心是道

修身を学ぶ会富山

第28講 平常心是道


表裏なく、まっすぐ生きる道

そういった生き方をしようと志す人にとって、今の世の中は、まだまだ生きづらいのではないか。

これは、子どもたちの成長から思うこと。

大人は、敢えてそういった生き方を志すことになるが、子どもは、そのままで、まっすぐ生きている存在。

その尊さが羨ましくもあり、儚さも感じる。


表裏なく、まっすぐに生きようとすると、社会にはいろんな壁があり、押しつぶされそうになる。

それはなぜなんだろうか。


個としての人間。

社会の一員としての人間。

この二つの側面を、ひとりの人間の中で、どこまで許容できるのか。

許容できる範囲は、人それぞれ、個人差があり、個性ともいえる。


だけど、個性として許されないような何かが、社会に存在する。

幻なのか、実在しているのか…。


もちろんのこと、誰もが「道」を求める必要はない。

しかし、もし「道」を求めようとしたとき、その生きる姿勢に対して偏見や差別がある社会だとしたら、それはよくないと感じる。



第27講は「世の中は正直」とあった。

短い時間のスパンで考えれば、正直に見えないことも、長い時間のスパンで考えれば、世の中は正直なんだと。

 

ただ、平常心是道を貫いて生きることに偏見がない社会を、未来に託すのではなく、いまここから実現できればと願う。


最新記事

すべて表示
深い対話

修身を学ぶ会富山 第4講 死 自分が死んだ後に、何を残すか、どんな働きができるのか。それが問われている。 死後、はじめて本物の社会貢献ができる。 こういったニュアンスのメッセージをこれまでの修身で受け取っていた。 つまり、生きているうちは、どうしても肉体を維持しなければなら...

 
 
 
気品とペインボディ

修身を学ぶ会富山 第8講 気品 約1年ほど毎朝5時からの音読会に参加させてもらっている。 メインは、エックハルト・トール著の「ニューアース」だ。 さて、「気品」とは、一代で身につくものではなく、子孫に伝えていくものだとある。...

 
 
 
不滅の火は、誰のものか

修身を学ぶ会富山 第3講 古人に学ぶ 森先生の言葉に触れると、自然に心が熱くなる。 われわれがこの二度とない人生を、真に徹底して生き抜こうとすると、何よりもまず古人に学ぶ処がなければならない。 偉人とは、永い生涯を、真に生命がけで徹底的に生き抜いた人々だ。...

 
 
 

コメント


bottom of page