親子論語塾でした。
今日は、論語塾のあとに、地蔵盆と夏祭りがありました。
はじまりの書は「隣」。
「隣」の字が使われている有名な章句は
子曰く、 徳は孤ならず、必ず隣あり。 (とくはこならず かならずとなりあり)
「徳」とは、天の道、地の道、人の道を理解し、実践に活かすこと。
その実践の中で、身体にしみついた習慣のようなもの。
これが徳。
社会の中のある集団に属したとき、その「徳」が他人にとって異質に思われるかもしれない。
「自分は間違っているのだろうか」
「他人に合わせたほうがいいのだろうか」
と、弱気になり孤独を感じることもあるだろう。
孔子先生は、「必ず、その徳を理解してくれて、みてくれている人がいる」と言われる。
すごく勇気を与えてくれる章句だ。
この章句に関連したもうひとつの章句がある。
子曰く、 人の己を知らざるを患えず、人の知らざるを患う。 (ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとのしらざるをうれう)
「どうして自分はこれだけ頑張っているのに、理解してもらえないのだろう、評価してくれないのだろうか」と憂うのではなく、
自分がどれほど、まわりの人のことを理解できていないかを憂うべきだと。
先ほどの
徳は孤ならず、必ず隣あり。
を別の立場で考えてみるとどうなるか。
つまり、自分は、集団の中で正しい行いをしているにも関わらず、孤独になっている仲間が、もしいるのなら、傍にいて声をかけてあげているだろうか。
そんな風に読むこともできる。
自分の評価だけを気にするのではなく、自分が無知であること、まわりの人のことを理解できていないことを自覚し、孤独になっている仲間の気持ちを察してあげる。
そういった気持ちを忘れてはいけない。
格物致知
自分を正すことで、生まれながらにしてもっている良知に気づく。
「そのために、座禅はあります。」
今日の和尚さんの言葉だ。
Comments