やっと観れた!
地球交響曲第9番
地球交響曲には30年近い前に出逢い、第9番はいつ見れるだろうかと思っていたのだけど。

メインの出演者は3名
「21世紀の今、ベートーヴェンの 『第九』 を振ってコバケン越える指揮者はいない」と言われる小林研一郎氏
聴覚を失った「おかげ」で、人間の歌声を取り入れたベートーヴェンの交響曲第9番。
イギリスの認知考古学者スティーヴン・ミズン博士
歌うネアンデルタール人と、言葉を扱うホモサピエンス。
敢えて言葉を扱うこと、情報を繋ぎ編集することをしない生き方を選んだ意味とは。
ノーベル生理学・医学学賞受賞者の本庶佑博士
病は、人が治すものではなく、本来人に備わっている生命力が治すもの。
生きることができないはずの生命が、生きることができるように発展した医学。
生と死のさらなる前進を目指す。
ここ数年のぼくのなかのテーマは、「身体感覚」。
「いのちの声に聴く」ということ。
しかし、この映画のメッセージは、もう一歩先を歩んでいたように感じた。
そもそも地球交響曲ガイアシンフォニーのテーマは、地球がひとつの生命体として機能しているという「ガイア理論」と、日本の深層にある「八百万の神」という2つの交差点を表現しつづけている。
地球の声
地球の音
いのちの声
いのちの音
映画のなかで、「きざし」という言葉が何度か使われていたと思う。
身体の内なる音と、地球という外なる音がハーモニーを奏でるとき、「きざし」が現れる。
ちなみに「きざし」とは芽生えること、と国語辞典にある。
内と外が共に奏でることで生まれるハーモニーに耳を澄ますと、「きざし」に出逢う。
その「きざし」から芽生えた小さな芽を見つめる生き方。
それが、この映画にあった。
いのちの声だけではなく、地球の声も同時に聞き、重ね合わせていく。
この新たな視点を教えてくれた。
「きざし」から芽生えた小さな芽を見つめる生き方とは、どんな生き方なのだろう。
ちょっと不思議なんだけど、「矛盾を生きる」という言葉が頭に浮かんだ。
思考を動かす必要がないのに、人はやはり思考が動き、言葉で表現しようと試みるものなんだなと、つくづくおもう。
聴こえない声を音楽にする。
言葉で進化した人間が、言葉ではない感性から学ぶ。
治癒力は生命側にあるにも関わらず、敢えて死に挑む。
そこに矛盾があることを知りつつ、不調和音が「心が震える和音」に変化する様がきっとあるはずだと、挑み続ける人間の姿があった。
今朝のニューアースの音読会。
自分が全体とつながっていること、すべての「他者」及び「生命の源(ソース)」と本質的に結びついていることをまったく認識できない。 この結びつきを忘れること、それが原罪であり、苦しみであり、妄想なのだ。
目の前で繰り広げられる課題は、自分の課題。
「他者」とつながることと、「ソース」とつながること。
「地球の声」と「いのちの声」でハーモニーを奏でること。
上映会に来ていただき、ありがとうございました。
音を観る、今前にある時間と一緒にあるもう一つの時の流れを感じるとか、いろんな思いを心に浮かんできます、素敵な文章ありがとうございます。