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心も、波であり粒なのか

本当の私を、探してた。

青海エイミー 著

読了



エイミーさんのデビュー作「ジミー」も、すごくすてきな小説でした。

誰かの呼び水として生きる。そんな生き方を知りました。



さて。今回の著書は、エイミーさんの自伝的なお話でした。


「光は、波であり粒である」

そんなイメージが頭の中を流れ、つづきました。


波なのか、粒なのか。

それは観察者の存在によっても変わるだろうし、観察方法でも変わる。


実は人の心も、人生の選択も、同じようなことなのではないか。


人生は波のようだと感じて生きているときは、これまでの過去とこれからの未来が、浮き沈みはあるにせよ繋がっている感覚で、いいときは肯定できるが、よくないときは「どうせ私なんか」と変えられない運命のようなものに振り回されてしまう。

 

人生が粒のような感じて生きているときは、「今」を大切に生きるとも言えるが、そのときそのときに溢れてくる感情が、自分でも理解できず、何度も訪れる人生の選択に、毎回「これでいいのだろうか」と右往左往するのではないか。

 

では、本当の自分は?

どちらの自分が正解のか、人はつい答えをだそうとする。

でも、たぶん、どちらが正解ってことはないはずで。

 

多くの人は、ぼくも含めて、そんな「私」という存在を、普段は気づかないふりをして生きているのであろう。




ちなみに、ど真ん中エディットワークは、人生を「波」の感覚で捉え、どんな物語がそこに流れているかを知るようなワークになっている。

最近アップデートしたいなと思うことが、まさに「粒」の要素をどう組み込むか。

もう少し考えていきたい。


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