top of page

志に誠を尽くす

修身を学ぶ会富山

第36講 誠


最近のぼくの悩みは、まさに「誠」にあると気づいた。

最近ずっと心が定まらない状態が続いていた。


「心が喜ぶことに没頭する」


その大切さを伝える本を読み込んだこともひとつの要因だ。

これからの時代を考えたとき、特にAIの進化を通じて、人間が学習することの意味を問い直すことを論じる場面が多い。

内容自体は、希望ある世界の話である。

これまでの常識を考え直す必要性を問われている。

まさに「アンラーニング」せよと。


となると。

人間は何に時間を使うべきか。


極端な言い方をすると、「誠」を尽くすという生き方は、時代から逆光するのではないかと。

つまり、誠を尽くすとなると、相手や対象物に対してだ。

「我」のことも大事なことであるが、師、先輩、役割、仕事に誠を尽くしていく。

その先に、道が開く世界があるんだと。


しかし、今問われているのは、その弊害ともいえる考えだ。

そういった目に見えない縛りのようなことから解放していくこと。

自分の心に素直になっていくこと。

自分の興味あることに没頭すること。

 

それがAI時代の到来で可能になるんだと。


そういった思考に対して、違和感はあるものの、その違和感が単純に自分が歳をとったことによる価値観の執着に過ぎないのではないかとも。


今回、その心がもやっとしていた感じが晴れてきたように思う。

救われた感じだ。

 

 

大切なのは、「志」を抱くこと。

ここに帰するように思う。


志を抱き、自らの志に誠を尽くす

それが、師に誠を尽くすことにもなるだろうし、親に誠を尽くすことにもなるだろうし、仕事に誠を尽くすことにもなるだろうし、頼まれごとに誠を尽くすことにもなるだろうし。



実は、AI時代になろうが、時代に踊らされない真理がある。

ここを改めて大事にしたい。

最新記事

すべて表示
希望の種を拾う

修身を学ぶ会富山 第7講 身代わり 小学校の低学年だったころ、同級生が雪の事故で亡くなるという出来事が起きた。 当時担任だった、いつもやさしい女性の先生は、事故後、まるで別人のように表情が硬くなり、少し冷たい空気を常にまとっているようになった。 その変貌ぶりがあまりにも印象的で強く記憶に残っている。 きっと、その時の担任の先生は、感じるの必要のない「責任」と、死を覚悟したのかもしれない。 数か月間

 
 
 
自分の平生使い慣れた一を改める

修身を学ぶ会富山 第5講 学問の本義 弓道をはじめて、ようやく3年になる。 少しずつ、道の深遠を知ることができるようになってきた。 自分の平生使い慣れた一を改める 人生50年生きてきて、無自覚に身に着けた「一」をどう直していくか。 妻にこれまで何度も注意されいてる身体的癖がある。 少しあごを上げた状態で歩く姿勢だ。 相手にあまりいい印象を与えないと、よく注意を受ける。 注意されるたび、そうだなと思

 
 
 

コメント


bottom of page