毎朝5時からエックハルト・トール「悟りをひらくと人生はシンプルで楽になる〜Power Of Now」 の音読会に参加しています。
今回はブログに2度目の感想を残します。
ペインボディは、思考の誤った認識というプロセスによって、その人の生命エネルギーから切り離され、一時的に独立してしまったエネルギーなのです。
昨日、富山から大阪まで移動中の電車の中での出来事。
敦賀から大阪までの新快速で、途中で一組の家族が乗車してきました。
4人のボックス席でぼくともう一人が対角線上に座っていた。
そこにぼくの目の前に小学生ぐらいの長男が座り、ぼくの隣に6か月ぐらいの赤ちゃんを抱っこしたお母さんが座る。お父さんは、別の席に座る。
満員電車。
お母さんは、終始赤ちゃんに
「眠たいね。眠たいね。ねんねしようね。」
と声をかけ続けている。
どちらかというと、赤ちゃんは眠そうにない。泣くことはしないが、興味あることがいっぱいで動き回っている。ぼくの腕を握ってきたり。
お母さんは、そんな我が子の状況を理解すつつも、他人に迷惑が掛からないように、なんとか寝てもらえないかと、 「眠たいね。眠たいね。ねんねしようね。」
と呪文を唱え続けている。
いやいや、眠たくないやろ、どうみても!って、突っ込みたくなる感情を抑えてました。
4人のボックス席の内で、ぼくは全く気にならないし、むしろ、かわいいなって思ってて、もうひとりの乗客は、身体が20度ぐらい傾いて今にもガクッていきそうな感じで爆眠中。
たぶん気にしているのはお母さんだけなんだけど。
お母さんが見ている世界
ぼくが見ている世界
赤ちゃんが見ている世界
ひとりひとり生きている世界が違うし、見ている風景も違うし、今をどう捉えているかも違う。
ペインボディは、思考の誤った認識というプロセスによって、その人の生命エネルギーから切り離され、一時的に独立してしまったエネルギーなのです。
お母さんは、耐え切れず、一度立ち上がり席を離れ、赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、戻ってきた。
座ることはせず、僕の横の通路で立っている。
その状態でもずっと呪文を唱えつづけていた
「眠たいね、眠たいね。」と。
正直、何も声をかけないぼくもいかがなものかと思いつつ。。
こうやって、「痛みのかす」が積もって、思考の誤った認識でペインボディが生まれるのだろうか。
ひとりひとりが、違う世界を生きているが、ひとりひとりは、繋がり合っている。
ペインボディは「本当の自分ではない」と認識すること、ペインボディにハンドルを握らせないことが大切なのだろうが、先ほどの定義から考えると、ペインボディは、「本当の自分ではない」にせよ、自分の一部であるのは確かである。
自分から切りなされた自分の一部を、もう一度自分の中に招待することができるといいのだろう。
だからこそ、ペインボディには、秘めた光の力が埋もれている。
実際には実体がないが、物体化したかのような振る舞いをするペインボディを、ほんの少しでも自分にとり戻すことができれば、大きな力に変わるのかもしれない。あたかもE=mc2のように。
ペインボディは無くなることはあるのだろうか。
ひとりひとりが見ている思考の世界が違う以上、思考の誤った認識は、人生経験が豊かになるにつれ差分は減ることはあっても、きっと起き続けるだろう。
無くなることより、力に変えていくことが大事なんだろうな。
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