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思考の誤った認識

更新日:2024年12月16日

毎朝5時からエックハルト・トール「悟りをひらくと人生はシンプルで楽になる〜Power Of Now」 の音読会に参加しています。

今回はブログに2度目の感想を残します。


ペインボディは、思考の誤った認識というプロセスによって、その人の生命エネルギーから切り離され、一時的に独立してしまったエネルギーなのです。

昨日、富山から大阪まで移動中の電車の中での出来事。

敦賀から大阪までの新快速で、途中で一組の家族が乗車してきました。

4人のボックス席でぼくともう一人が対角線上に座っていた。

そこにぼくの目の前に小学生ぐらいの長男が座り、ぼくの隣に6か月ぐらいの赤ちゃんを抱っこしたお母さんが座る。お父さんは、別の席に座る。


満員電車。

お母さんは、終始赤ちゃんに

「眠たいね。眠たいね。ねんねしようね。」

と声をかけ続けている。


どちらかというと、赤ちゃんは眠そうにない。泣くことはしないが、興味あることがいっぱいで動き回っている。ぼくの腕を握ってきたり。


お母さんは、そんな我が子の状況を理解すつつも、他人に迷惑が掛からないように、なんとか寝てもらえないかと、 「眠たいね。眠たいね。ねんねしようね。」

と呪文を唱え続けている。

 

いやいや、眠たくないやろ、どうみても!って、突っ込みたくなる感情を抑えてました。

 

4人のボックス席の内で、ぼくは全く気にならないし、むしろ、かわいいなって思ってて、もうひとりの乗客は、身体が20度ぐらい傾いて今にもガクッていきそうな感じで爆眠中。

たぶん気にしているのはお母さんだけなんだけど。

 

お母さんが見ている世界

ぼくが見ている世界

赤ちゃんが見ている世界

 

ひとりひとり生きている世界が違うし、見ている風景も違うし、今をどう捉えているかも違う。


ペインボディは、思考の誤った認識というプロセスによって、その人の生命エネルギーから切り離され、一時的に独立してしまったエネルギーなのです。

お母さんは、耐え切れず、一度立ち上がり席を離れ、赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、戻ってきた。

座ることはせず、僕の横の通路で立っている。

その状態でもずっと呪文を唱えつづけていた

「眠たいね、眠たいね。」と。

 

正直、何も声をかけないぼくもいかがなものかと思いつつ。。

 

こうやって、「痛みのかす」が積もって、思考の誤った認識でペインボディが生まれるのだろうか。



ひとりひとりが、違う世界を生きているが、ひとりひとりは、繋がり合っている。


ペインボディは「本当の自分ではない」と認識すること、ペインボディにハンドルを握らせないことが大切なのだろうが、先ほどの定義から考えると、ペインボディは、「本当の自分ではない」にせよ、自分の一部であるのは確かである。

自分から切りなされた自分の一部を、もう一度自分の中に招待することができるといいのだろう。

 

だからこそ、ペインボディには、秘めた光の力が埋もれている。

実際には実体がないが、物体化したかのような振る舞いをするペインボディを、ほんの少しでも自分にとり戻すことができれば、大きな力に変わるのかもしれない。あたかもE=mc2のように。



ペインボディは無くなることはあるのだろうか。

ひとりひとりが見ている思考の世界が違う以上、思考の誤った認識は、人生経験が豊かになるにつれ差分は減ることはあっても、きっと起き続けるだろう。

無くなることより、力に変えていくことが大事なんだろうな。


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