調和への想い(3)
滋賀県にお住まいのオシタユミコさんとの対談。
共通の友達の話題からはじまり、オシタさんの活動について聞かせていただきます。
前回からのつづき。
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感じるままに… 美しいモノを
そのままに… 楽しんで
いろいろ表現していたら…
色あそび & 空間調和創作で
内なる スペースも 自然に 調えていく Artist として
活動する流れに…!
(山科)
調和を軸として生きると、個性が揺らぐのではないか。
ただ、オシタさんのお話の中で、調和だけでなく、「解放」というキーワードも聞けた。
解放の先には、個がある。
この調和と解放を繰り返していくことで、自分と他者の境界線を揺さぶることができるのかな。
(オシタ)
アート活動(踊り)を始めてから、野外パフォーマンスを他のパフォーマーさんと一緒に参加することがあった。
世界を渡り歩ているようなパフォーマーさんと一緒にやったのだけど、皆さん好き勝手に個性的な表現をする。
私はその中にいると、「あの人とあの人の中間ぐらいの表現をすると繋がれる」と、パパパッと閃いてしまう。
2つの個を和らげるようなパフォーマンスをしてしまう。
「それが自分の本当にしたいパフォーマンスなのか」
観客がひとりでもいたら、私と自然と観客の間を取り持つ踊りになる。
「本当の個性は、人前では出してはいけない」と思っているのかもしれない。
ただ、徐々に解放もしている。
だから、解放できてる時もあれば、そうじゃない時もある。
それでいいのではないか。
そう思えば、自分にOKを出せるなと感じた。
解放があることで、調和の中での個性が成り立つのかもしれないですね。
(山科)
僕らは、一人では生きていなくて、何かのグループに属している。
それも複数のグループの中で生きている。
そのグループも、さらに大きなグループに属していて。
すごく多重構造の中で生きている。
個人→家族→町内→市→県→地域→国→世界→太陽系→…
自分から遠い多重化構造の先にある集団的意識も、いつのまにか個に影響をしていると考えると、そこでの問題は解決できるのだろうか。
ひとつヒントになりそうなのは、「自然」の中にありそう。
目の前に広がる自然の中では、動物も昆虫も植物も微生物も、個性を生きている。
だけど、全体としては調和している。
(オシタ)
手放すということが、「恐れ」になっているのかな。
この「恐れ」が、多重構造になったときに動きにくくなる。
手放すからといって、なくなったわけではなく、自分の中で別の物語として積み重なるだけで、怖がらなければ、以外に解放できるのかもしれない。
無くなると思うから、手放せなくなる。
循環していると思えるかどうか。
つづく。
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