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手放すことの恐れ

執筆者の写真: yamashina shigeruyamashina shigeru

更新日:1月17日

調和への想い(3)


滋賀県にお住まいのオシタユミコさんとの対談。

共通の友達の話題からはじまり、オシタさんの活動について聞かせていただきます。

前回からのつづき。


ブログはこちら


感じるままに… 美しいモノを

そのままに… 楽しんで

いろいろ表現していたら…

色あそび & 空間調和創作で

内なる スペースも 自然に 調えていく Artist として

活動する流れに…!




(山科)

調和を軸として生きると、個性が揺らぐのではないか。

ただ、オシタさんのお話の中で、調和だけでなく、「解放」というキーワードも聞けた。

解放の先には、個がある。

この調和と解放を繰り返していくことで、自分と他者の境界線を揺さぶることができるのかな。



(オシタ)

アート活動(踊り)を始めてから、野外パフォーマンスを他のパフォーマーさんと一緒に参加することがあった。

世界を渡り歩ているようなパフォーマーさんと一緒にやったのだけど、皆さん好き勝手に個性的な表現をする。


私はその中にいると、「あの人とあの人の中間ぐらいの表現をすると繋がれる」と、パパパッと閃いてしまう。

2つの個を和らげるようなパフォーマンスをしてしまう。


「それが自分の本当にしたいパフォーマンスなのか」


観客がひとりでもいたら、私と自然と観客の間を取り持つ踊りになる。

「本当の個性は、人前では出してはいけない」と思っているのかもしれない。



ただ、徐々に解放もしている。

だから、解放できてる時もあれば、そうじゃない時もある。

それでいいのではないか。

そう思えば、自分にOKを出せるなと感じた。


解放があることで、調和の中での個性が成り立つのかもしれないですね。



(山科)

僕らは、一人では生きていなくて、何かのグループに属している。

それも複数のグループの中で生きている。

そのグループも、さらに大きなグループに属していて。

すごく多重構造の中で生きている。

個人→家族→町内→市→県→地域→国→世界→太陽系→…

自分から遠い多重化構造の先にある集団的意識も、いつのまにか個に影響をしていると考えると、そこでの問題は解決できるのだろうか。


ひとつヒントになりそうなのは、「自然」の中にありそう。

目の前に広がる自然の中では、動物も昆虫も植物も微生物も、個性を生きている。

だけど、全体としては調和している。


(オシタ)

手放すということが、「恐れ」になっているのかな。

この「恐れ」が、多重構造になったときに動きにくくなる。


手放すからといって、なくなったわけではなく、自分の中で別の物語として積み重なるだけで、怖がらなければ、以外に解放できるのかもしれない。


無くなると思うから、手放せなくなる。

循環していると思えるかどうか。



つづく。

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