ルックバック
藤本タツキ
イラスト、感情の表現、ストーリー、いろんな視点はあるが、個人的には「才能」という視点で感想を書いてみたい。
人は、自ら気づき、磨き上げた才能は、残酷なまでにどうしようもなく止められない。
これが最初に得た感想だ。
才能とは 欲求を満たそうとするときに、どれだけやっても飽きずにやり続けることのできること (みんなの才能研究所より)
ぼくは、この才能の定義が大好きだ。
つまり、才能とは特別は能力ではない。
自らの欲求を満たすために、やり続けることができること。
それは、どんな些細なことでもいいし、人より秀でている必要もないし、今の社会の中で価値があるないという基準も関係ない。
自分にとってどうかというだけの話だ。
ただ、それでも人、社会と関わり始めた途端、「比較」と「競争」という世界にさらされることになる。
しかし、先ほどの才能の定義からしてみれば、比較や競争は社会にとっての要求でしかなく、自分の心の要求や欲求ではないのだが、いつのまにか、勘違いが生じ、悩みが現れる。
とはいいつつ、やはり、自分の才能が社会に認められる喜びはある。
自分の才能に気づき、ひたすら才能を磨き続ける。
つまり、自分の欲求に素直に従い、いつまでやっても飽きることのないことを追求しつづける行為。
その行為は、他人からすると、苦労、苦痛の連続でしかないのではないかと誤解されることもあるが、本人からすると、まったく苦でも楽でもなく当たり前のことで、いつのまにかやってしまうこと。
たとえば、親から、「もう夜も遅いのだから勉強も大事だけど寝なさい」と言われようが、止められない、常にやり続けたい欲求が勝る状態。
この才能に出逢えた人は、幸せだろうし、そういう意味では、誰もが幸せになれるのだ。
この物語は、自分の才能に出逢い、最初は半信半疑であったが、人の縁によって確信に変わり、才能を思いっきり活かす生き方を、ただただひたすら目指す日常だ。
日常というのは、何か、フィクションのように特別な出来事が起きるとかではなく、才能にひたむきで生きる、それだけのストーリーだ。
しかし、人生は残酷である。
どうしようもできない出来事も起きる。
もう人生は真っ暗闇、一切の道がない。
そう感じる瞬間は、突然訪れるものだ。
しかも、その出来事の原因を作ったのが自分だとしたら。
大きな後悔、取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちになるだろう。
しかし、「才能」は残酷である。
そんなどん底の瞬間にでさえ、いつのまにか「才能」は発揮される。
もし・・・・だったら。
創造の世界、物語を紡ぎ、偶然が重なる奇跡の日常、自分の頭だけにあるクリエイティブな世界観・・・。
その妄想は止めることができない。
どうしようもなく。
そして気づく。
「自分は自分の才能を発揮するだけでいいのだ」と。
しかもそれを後押してしてくれたのが、過去に自分の才能について半信半疑から確信に変わった瞬間の自分の後ろ姿(作中では違う表現になっているが)であったこと。
故きを温ね 新しきを知れば もって師となるべし。
過去の自分に出逢い、新たな気づきを得る。それが師となる。
ど真ん中と、自分の才能が、掛け合わされているかどうか。
これはとても大事だことだと思う。
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