A NEW EARTH
二巡目 第6週 振り返り
今週も盛りだくさん。
あなたが、他者の中にあるエゴを相手そのものと混同した(他者=他者の中にあるエゴ)とき、あなた自身のなかのエゴは、その誤解をもとに「自分が正しくて優れている」と考え、敵と想定する相手に、非難や憤慨や怒りで反応することにより、自分自身を強化する。
「反応」とは、ほとんど無意識の状態で感情や思考、行動をするのだろう。
この無意識の反応が、より自分自身のエゴを強化することになる。
このプロセスを理解できたからといっても、無意識の反応を改善どころか、意識化することすら厳しそうだ。
「あ!今反応したな」って、気づくことが大事なのだろう。
ここで伝えてくれている大切なテーマは、もうひとつある。
相手のエゴを利用して、自分のエゴを強化しているということは、そもそも、自分の中に相手と同じパターンのエゴが存在しているということ。
存在しているから強化できるのであり、もし存在していなければ反応自体しないはずだ。
この「無意識の反応」「反応するということは自分の中にもある」ということを気づくにはどうしたらいいのだろうか。
思い浮かんだのは論語の章句だ。
論語では「義」を大切にする。
「義」とは正しい道を歩むこと。
他者評価ではなく、自分が考えた正しい道を歩むこと。
しかし、「義」は普遍的なものではない、変化する。
自分が正しいと思っていたことが、揺らぐことはいくらでもある。
立場や状況で変化もするだろう。
そのときどうするか。
自分の言動を振り返り、反省する。
それができることが人間のひとつの魅力なのかもしれない。
では反省とは?
有名は章句がある。
吾日に吾が身を三省す。
人の為に謀りて忠ならざるか。
朋友と交りて信ならざるか。
習わざるを伝えしか。
私は毎日、自分の行いについて何度も反省している。
第一に、人のために、誠意を尽くしただろうか。
第二に、友人と接していて、友を信じることができていただろうか。
第三に、自分がまだ習得できていないことを、人に教えていないだろうか。
渋沢栄一は、これを毎晩振り返り、家族とシェアしたという。
もし夜にできなければ、次の日の朝にするという徹底ぶりだったらしい。
自分の義を歩み、常に三省する。
三省していく中で、義に違和感を覚えたら、潔くこれまでの考えを捨て、新たな道を求める。そしてまた三省する。
この繰り返しだ。
三省できるからこそ、義に執着することも減る。
それができれば、無意識の意識化ができていくのかもしれないな。
平和よりも、自分が正しいほうがいいと言う何者かが、あなたの中にいることを感じられるだろうか。
はい、感じます。
「絶対にそうなります」
「必ず〇〇です」
と断定した言葉を語る人を前にしたとき、強い防衛反応が起こる。
「絶対などあり得ないだろう」と相手を否定する感情が生まれる。
そして、相手が何か自分をコントロールしてくるのではないかと、疑念を抱く。
先ほどの「三省」などすっかり忘れている自分がいる。
平和であろうとする心は、痛く崩れる。
平和よりも「自分の義」への執着が強いのだろう。
反応をしている自分に気づくこと。
そして、「同じパターンが自分にもある」ことに気づけるかどうか。
大きなパワーが必要だ!
思い返すと、中学時代から、いやもっと前から、「この世界の真実」にすごく興味があった。
「絶対」を知りたかったのだ。
「絶対」に憧れていたのだ。
「絶対」を探究することこそ強さだと信じていたのだ。
この自分の中にある秘めた感情を思い出した。
私はあなたと同じパターンを持っている。
人間という存在の究極の目的は、この「いまに在る」力を世界に広めることだ。
この言葉に不安を感じた。
本当にそんなことができるのだろうかと。
AI(人工知能)と仲良くする。
そんな世界観がふいに頭に流れ込んだ。
不安を感じた理由は、人の知識欲、成長欲、もっともっとを望む気持ちが「いまに在ろうとする力」を抑えつけるのではと思ったからだ。
もし、この欲をAIにまかなってもらえるとするなら。
五感に身を任せて生きることが可能になるのではないか。
フレンドリーな関係性をAIと結ぶ世界があれば、「いまに在る」力を世界に広げることが可能かもしれない。
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