ど真ん中の仲間でもある、木原さんが主宰する読書会に参加させていただいています。
課題図書は
それでもなお、人を愛しなさい
ケント・M・キース 著
第10章の回が参加できなかったので、こちらに感想を残します。

第10章のタイトル
世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
人生を最大限に活かすこと。(エンパワーメント)
最善を尽くすことの大切さが書かれてあった。
心に留まったところは
最善を尽くすことの代償は高くつく可能性があります。しかし、それよりも高くつく唯一の代償は、最善を尽くさないことです。 最善を尽くさなければ、あなたは本来のあなたではないのですから。
まず、なぜ「人生を最大限に活かすこと」が大事なのか。
この問いを考えるところから始めることが必要な気はするが、それは一旦置いておき、最善を尽くすことについて少し考えてみたい。
最初に思ったことは
「最善を尽くす」と「ベストを尽くす」の違いについて。
なぜ「善」という漢字を使うのかということを、少し疑問に感じた。
そこからこの問いが生まれた。
印象的には、「ベストを尽くす」とは、今取り組んでいる活動で、すでにゴールが設定していあり、そのゴールを達成するための行動計画を全力で取り組むというイメージがある。
それに比べて、「最善を尽くす」には、最初にゴールが設定してあったとしても、それに囚われることなく、臨機応変にこの瞬間に最も「善」だと思うことに対して全力で取り組むというイメージだ。
ちょうど、朝活大学素読会で、同じようなテーマを扱った。
「至善に止まる」というどういうことか。
これは「大学」の最初に書かれてある言葉だ。
至善とは、二項対立の世界からの脱却。
一に至ること。
自分のために正しいこと、といったような物事を分けたときに、どちらが正しいかという世界ではなく、「一」の世界に止まること。
人間のルールであれば「義」。地のルールであれば「理」。天のルールであれば「道」。
そういった、普遍的なルールが存在し、そのルールを基準にできるかどうか。
そういったニュアンスが「最善を尽くす」という言葉にあるように感じた。
最善を尽くすという言葉の反対にあるのは、「めんどくさい」という言葉なのかもしれない。
「めんどくさい」から辞めておく。
これは、一番何かをやらないときの理由にしているのではないか。
「めんどくさい」と思ってしまう心は、どうしようもないが、めんどくさいからやめるという選択をひとつでも減らす生き方をしたい。
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