top of page

物を格す

月2回のペースで朝活大学素読会を開催しています。

2年目に突入。

その風景をはじめて録画してみました。


▼素読風景はこちら



素読後のつづきはこちら



素読後、心に留まった箇所を紹介。


物を格して后知至る。

伊與田さんの解説には、「物」とは自分のことと書かれてある。

つまり、自分を正せば知恵は自ら澄んでくる。そんな表現で書かれてある。



大学では、孔子のエピソードが紹介されている。


子曰わく、訟をきくこと われなお人のごときなり。 必ずや訟無から使めんかと。 まこと無き者は、其のことばをつくすを得ず。 大いに民の志を畏れしむ。 これを本を知るという。 これを本を知るという。 これを知の至りというなり。

孔子が言うには、争いごとの訴えを聴いて判断することは、裁判官と同じようにできる。

でも訴えを正しく判断することが重要なのではなく、訴えのない世の中にしなければならない。

真実ではない訴えというのは、どれだけ言葉を尽くしても、バレてしまうものだ。

つまり、自ら省みて、自ら畏れて、訴えはできなくなるようにしていく。

これを人の道の本を知るということ。

そして知が至るということ。



物を格す」ということは、物事の本質を探究し、理解しようとすること

表面的な課題をどう解決するかも大事なのことだが、その課題の奥に潜むテーマは何か。根本を正すには、何が必要なのか。そこを理解しよいうとすること。

そのことで、新しいアイデアや知恵、解決の糸口が見えてくる。

最新記事

すべて表示
境界線を死守する

朝活大学素読会 秦誓に曰わく、若し一个の臣有らんに、斷斷として他技無く、其の心休休として、其れ容るる有るが如し。 人の技有る、己之れ有るが若く、人の彦聖なる其の心之を好みし、啻に其の口より出ずるが如きのみならず、寔に能く之を容る。...

 
 
 

Comentários


bottom of page