君子は義に喩り、 小人は利に喩る。
君子は、それが正しいか、正しくないかで物事を判断するが、
小人は、利益があるかないかですべてのことを判断する。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
現実社会の中では、常に、義と利の選択で悩む。
ほとんどの場合、ケースバイケースということで落ち着くのではないか。
しかし、論語ではそうではない。
きっちりと断言しているのだ。
義だと。
ぼくが10年近く座右の問いにしている言葉がある。
「先義後利であるかどうか」
富山のくすり売りビジネスでは、先用後利という。
ただ、義とは何かを考えたとき、正しいかどうかという意味と書かれてある。
なんなくイメージで義理人情の義理というイメージで義をとらえてた可能性がある。
そうではなく、正しいかどうかだ。
であればこそ、正しさとは何かという定義を自分の中にもっているかどうか。
それこそ、大切になってくるのではないか。
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