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死生の問題

2020年12月10日
読了時間: 1分



この世に生を得た以上、死は必ず付いてくるものだ。

つまり、この死と向き合うことで、生が見えてくるのは確かだろう。


「生」「生きる」ことに没頭することが人として生まれたひとつの義務と捉えるのであれば、必要条件として死と向き合い受け入れることが大切だということだ。


死を真正面から受け入れ生きる道を歩む中で、開かれる道があるのではないか。

それこそ、自分の命の長さ、命があるないに関係なく、命が尽きた後にこそ、何を残し、どんな貢献ができるのか。

そこに希望の光を見い出すからこそ、生と死が一つになるのかもしれない。


その希望の光は、具体的であるべきでも、抽象的でも構わないと思う。

ただ、そこに光があること。これが重要なのではないか。

 

具体的である必要はないが、言語化することは必要だろう。


そして、誠とは、この死生の道の中でいただいた希望の光に照らされながら、かつ、その目標となる希望すら忘れるほどに「生」に没頭し、自分の仕事に向き合うことなのだろう。


それがいつのまにか、「あの体験があったからこそ」と言える時に出逢えるに違いない。


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