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求めてやまない心

第23講 卒業後の指導



修養とは、「求めてやまない心」だという。

確かに、この説明がすごくぴったりだなと感じる。


「求めてやまない心」とは、さらに言い換えるのなら、「才能」と言えるのかもしれない。

才能とは、誰かから指示されたわけでもないのに、ついやり続けてしまうこと。

そういった定義で考えるのなら、まさに「求めてやまない心」の原動力に才能があるように思う。


本来、そういった才能を自由に表現し、社会に還元することができればいいのだろうが、いろんな外的要因等で、諦めてしまう場合が多いのではないか。

「誰も理解してくれない」

「世の中はそんなに甘くない」

「これではお金は稼げない」

という感じで。


ただ、そこで問われているのは、才能を活かそうとしたときに、目の前に立ちふさがる課題を外部要因に求めるか、自分に向けるかなのではないか。


果たして自分は、「求めてやまない心」を大切に生きているだろうかと。



別の表現として、修養とは、人間が自分の生命に徹して生きようとする態度とも書かれてある。


求めてやまない心を生きることと、自分の生命に徹して生きることが、一つであるということは、大きな発見だ。

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