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執筆者の写真yamashina shigeru

無意識の信念

いま、ニューアースの読書会に毎朝参加させてもらっている。


ニュー・アース

エックハルト・トール 著


その中での大いなる気づき。

 


(長男の作品、母の日のプレゼント)


1週間ほど前に、妻からこんな言葉を投げかけれらた。

「共感してもらえないことがつらい」

「自分はひとりなんだと孤独になる」

と。

 

これまでも、何度も同じような言葉を聞いている。

しかし、その言葉の深い意味を今まで理解したことはなかった。


「あなたのテーマは、家族と慮ることだと思う」

とアドバイスもされていた。


何度も何度も聞かされていた。

その都度、反省する姿勢は示すも、どう反省すればいいのか分からない。

何を変えればいいのか分からない。


自分自身、腹落ちすることができなかったのだと思う。

だから、何度も過ちを繰り返す。


それがいまやっと、妻の言葉の意味が分かりかけてきた。

まだまだ言語化できないし、どう実践していくべきかも分からない。

ささやかな気づきがあっただけ。

どこまで言葉にできるかわからないが、書き留めたい。



以前、昔からの知り合いの方から、「山科さんは逆境を味わうことってないですよね」と言われたことがある。

これは、ぼくがすごくラッキーで幸せ者だということではなく、もし逆境が現れても、それを逆境だと捉えず、前向きに捉えてしまうことを指摘されたのだ。


いい悪いではなく、フラットな感覚で言われた言葉だったのだけど、ぼくも確かにそう自覚している。

自分は、逆境を前向きに捉える、むしろ、楽しみとして捉える。

特に、すごく重大な問題だとしても、直接的でぼくひとりだけの問題じゃなければ、たぶん9割以上の確率で、問題とすら思わないかもしれない。


これは、自分の才能だと思っている。

たとえば目の前で起きた出来事を逆境だと捉える場合と学びだと捉える場合では、明らかに学びだと捉える場合のほうが、「いいこと」だと信じている。

信じているし、すでに自然にそういう捉え方をしている。

それは、すごくいいことだと、無意識の信念がそこにある。


そうだ。無意識の信念だからこそ、この自分の感覚は決して間違っていないと信じているし、変えるつもりもない。

どちらかというと、いいことしかないと信じている。

そして、信じているということを意識できていない



この無意識の信念こそ、妻を傷つけていたのだ。

その衝撃!


妻は共感力が非常に強い。

相手のことを自分のこととして共感覚として感じる力がある。

そのことで、人一倍心が疲れるのも確かだが、相手を思いやる力、慮る力になる。

人だけでなく、物や事、言葉ひとつひとつにアートな感覚で捉えることができる。

そんな妻が家族のことを感じて創る料理は最高だ。

 


妻の見ている世界とぼくの見ている世界が、全く違うのだ。


特にネガティブな現象が起きた時に、二人の間に大きなギャップが生まれいたのだ。

ネガティブなことを善きメッセージと捉える人と、深く共感して受け取る人。


そして、ぼくは自分の受け止め方こそ正しいと信じきっている状態。

そのぼくの状態すらも共感して受け取ってしまう妻



「私が安らぎを得るには、あることが起こる必要がある。それが起こっていないのが不満だ。不満に思っていれば、そのうちそれが起こるかもしれない。」
この無意識の信念はよく誰かに向けられ、「起こる」べきことが「する」べきことになる。
「あなたはあれこれをするべきだ。そうすれば、私は安らかな気持ちでいられる。それをあなたがしないから、私は恨んでいる。恨んでいれば、あなたはそれをするかもしれない。」

ニュー・アースにある言葉だ。

 

ぼくは無意識の信念に基づき、単なる個人的信念に収めずに、相手に、こうあるべきだと、一方的で強迫的なエゴをぶつけていたのだ。



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