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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

物理法則を超える

今日は、月に一度の親子論語塾でした。

本来であれば夏祭りがあり、多くの親子で楽しむのですが、今年は残念ながらコロナということもあり、お預けとなりました。


最初の書は「藝」でした。



「藝」のある論語で有名なのは


子曰わく、 道に志し、徳に拠り、 仁に依り、藝に遊ぶ。

論語では、いろんな君子、いろんな小人の話がでてくる。

しかし、どんな人にも当てはまることがある。

 

まずは志を抱くこと。


志を抱くことで、学ぶことが好きになり、楽しめるようになる。

学ぶことで、志を抱くのではない。

まず、志を抱くこと。

それがスタートだ。

 

そして、その志を達成するために、どんな手段も厭わないのはよくない。

正しい方法を選ぶこと。徳だ。

 

次に、思いやり。

共に志を抱く仲間はライバルであるのは確かだが、同志だ。

ゴール間近で仲間がつまづいたのなら、立ち止まって助ける余裕があるか。

そして仁とは、未来を予測する力でもある。

どんな未来が待ち受けているのかを考え、それに備える。

それも思いやりだ。

 

その上で、心に余裕を持ちながら学ぶこと。

たまに気分転換しながら。


気分転換ができるということは、逆にいうと、自分の志がはっきりしているということ。

なすべきことが明確だからこそ、それ以外のことに時間を使うことが気分転換だ。

つまり、気分転換できるということは、なすべきことが明確だということ。

 

結局、最初の「道に志す」に戻る。

 

そんな章句だ。



素読の発表のとき、ある小学生が、あまりみんなで素読しない章句を発表した。


子のたまわく、 三軍も帥を奪うべきなり、 匹夫も志を奪うべからざるなり

大軍の総大将であっても、その首を奪おうと思えば、奪えるものだ。

それがどんなに多くの軍勢に守られていようとも。 しかし、たったひとりの名もなき男の持つ志は、誰も奪うことができない。



心の中にあるものは奪えない。


今回はそれだけにとどまらず、先生から、さらに一歩進めた話をしていただいた。


自分がどんな人物になりたいか、志を抱き、学んだこと、気づいたことを、どれだけ語ろうが、どれだけ多くの人に伝えようが、減らないということ。


志は、誰からも奪われることがなく、 どんなに使っても減らない。

だったら、出し惜しみする必要はない。


どうしても、物質世界で生きていると、物理学の範疇の中で思考しがちだが、

心の中は、その法則に囚われない自由な世界だということ。

 

それを忘れてはいけない。

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