第18講 忍耐
忍耐ということを考えるとき、大まかにいうと2つの視点がある。
ひとつは、怒りの情をどう納めるかという、堪忍。
もうひとつは、一度立てた目的を実現すべく、永い年月をいかに忍かという、陰忍。
堪忍の中には、「怒」があり、陰忍の中には、「喜怒哀楽」すべてが内包されているようにも感じます。
この2つの「忍」を通じて何が見えてくるのだろうか。
それは、今の自分の現在地はどこか。
それを知るモノサシになるということだ。
つまり、自分の堪忍と陰忍が揺さぶられる境界線は何かを、内省すること。
そこに自分の現在地がある。
では自分にとっての堪忍、つまり、どんな状況だと自分は怒りの情が発生し、抑えきれなくなるだろうか。
例えばこんなパターンだ。
ある人が、仕事と本当にやりたいことを切り離した働き方をしており、その上で、本心とは関係なく、仕事上のルールを感情なく強制しようとしてくるとき。
こういう場面に出くわすと、怒りを覚える。
では、なぜ怒りを覚えるのかを考えてみると。
ど真ん中エディットワークでは、仕事×社会貢献×ワクワクの生き方を探すことを提案している。
しかし、その反面、仕事とワクワクを切り離して生きることも否定はしない。
それは選択のひとつである。
と説明している。
選択は自由ではあるが、一度、自分のど真ん中は何かを表現してみようというのが、ど真ん中名刺だ。
しかし、上記のようなシチュエーションに出逢ったときに、怒りが生まれるということは、生き方は自由だといいながら、自分が一番こだわっているのかもしれない。
それが今のぼくの現在地だ。
余談となるが、漫画ワンピースの第1巻の場面。
シャンクスが山賊に罵声とお酒を頭からかけられるシーンを思い出す。
そのときシャンクスは、一切怒りの感情がなく、むしろ楽しい日常として受け入れている。
しかし、仲間を傷付けた相手には、瞬時に怒りを爆発させる。
もうひとつ。
長期的目標に対しての陰忍はというと、子どもたちへの贈り物になるのかもしれない。
つまり、ぼくが子どもたちに残せるのは、自分の生き様しかないと思っている。
そして、それがひとつの目標にもなっている。
目標と言わずとも、もしかすると、結局伝わることになるのかもしれないが。
むしろ、だからこそ、どんな生き様を残せるのか。
とても大切なんじゃないかと思っている。
これは「陰」とあるとおり、表に出すことはない。
ぼくがいつか死んだあとに、どんな想いが伝わったかということになるので、考えても仕方がないこと。
しかし、リアルな生活の場面で、お金のこと、将来のこと、なんだかんだ、気持ちを揺るがす瞬間が訪れる。
これは、さすがに、まだまだ消えることはないように感じている。
これが今の現在地だ。
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