教養としてのラテン語の授業
ハン・ドンイル 著
妻がまず読んでおり、読みながら「楽しい」」と何度も叫んでたので、気になって読みました。
本にすごく失礼なのだけど、さっと興味あるところを目を通しながら読んだ感じです。
今朝のエピソード。
小学1年生の末っ子が朝起きてきて、半分寝ている状態で
「クロワッサンとドーナツ、どっち食べる?」
って聞くと
「クロワッサン」
と、目をつむりながら答えた。
いや、なんか感動したのです。
パンの種類の名前としてクロワッサンがあること。
それをいつの間にか(当たり前のことなんだけど)、理解して言葉を使う。
ちなみにクロワッサンの語源を少し調べてみた。
クロワッサンは、フランス語「croissant」からの外来語。
「新月の」「三日月の形の」を意味する。
クロワッサンの起源には、17世紀、オーストリアの首都ウィーンでオスマン帝国のトルコ軍の侵入を防いだのを記念し、トルコの旗印である三日月の形のパンを作ったことに由来するという話がある。
すごく興味深い。
・なぜ敵国の旗印をパンにしたのか。
・この戦争は、どんな理由で起きたことなのか。
・なぜトルコ軍の旗印が三日月だったのか。
・クロワッサンという言葉はいつ日本に入ってきたのか。
・そもそものフランス語の語源は。
これらを紐解いでいくと、風習、文化、宗教、政治、戦争とあらゆることがこの言葉に結び付いている。
さて、「教養としてのラテン語の授業」の最後のほうのページにすごく興味のある言葉を紹介されていた。
Dum vita est, spes est.
命のある限り、希望はある
Dum spiro,spero.
息をしている間、私は希望を持つ。
Dum vivimus,speramus.
生きている限り、私は望む。
解説にはこのようなことが書かれてあった。
希望を語るには前提がいる。 つまり、希望とは、生きている人間だけが語れるものだ。生きているから、夢を見ることができる。
そして
人間は永遠から来て有限を生き、永遠に還る存在なのだ。
と。
ラテン語で希望は「spes」。
「期待して望む」という意味のインド・ヨーロッパ祖語である「speh-s」が語源。
ぼくらは、あたかも知っているようで、本当は知らないことがある。
その最たるものが「生」と「死」の瞬間だ。
他者の生まれる瞬間、死ぬ瞬間を観察することはできるが、自分自身が生まれる瞬間、自分自身が死ぬ瞬間は誰も覚えていないだろうし、知らない。
これこそ「無知の知」だろう。
どんなにすばらしい人物になろうとも、自分が生まれた瞬間も知らなければ、死ぬ瞬間も分からないのだ。
ただひとつ言えることは「希望」を持つことができるということ。
それが生きるということ。
そして、希望とは、何かを期待して望むことだ。
この人がもつ大きな力「希望」について、ど真ん中エディットワークでも考えてもらうようにしている。
それは「大志」についてだ。
・自分の命の寿命に関わらず、100年先、200年先に、どんな世界を望むのか。
・だとしたら、自分に与えられた時間とお金は、何に投資するのか。
もしかすると名刺を作るためにはそこまで考える必要はないのかもしれないが、自分の物語を語ろうとする上では、とても大切な思考だと思っている。
なぜ大切か。
それこそ、生きているから。
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