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生をこの国土にうけて

  • 執筆者の写真: 浦井 啓子
    浦井 啓子
  • 2019年12月26日
  • 読了時間: 1分

「ここに日本人の一人として、生をこの国土にうけたことを喜ぶのはそもそもなぜか?」


 正直、私はこれまで「なぜ、日本人として日本の国土に生をうけたのか」ということなど、一度も考えたこともなかった。


 しかも、外国や外国の文化などの日本以外の国に関して興味や関心をもつこと自体あまりない私にとって、「日本に生をうけ、日本人として生きること」について、考えたことさえない。

 森先生が仰っておられるように、自分が日本人であることは「空気のように〝あたりまえ〟のこと」過ぎて、意識することさえ「ない」のが正直なところだ。


 日本民族の一員として、その全てがこの国土に生い立った樹木のような存在である自分。

 過去から受け継がれてきた無量の〝因縁〟が重なり合った結果としての自分。

 個としての存在ではなく、たくさんの命のつながりの結果としての「ここにある自分」なのだ。


 もしかしたら、この回で初めて私は

「命への責任」を自分ゴトとして意識できたのかもしれない。




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