A NEW EARTH
二巡目 第13週 振り返り
ペインボディは、「わたしを見つけてほしい」と願っている。

まわりに誰か(パートナーや家族ならなおいい)がいると、ペインボディは人間関係に波乱を起こして糧にするために、その人たちを挑発しようとースイッチを入れようとーする。 ペインボディが親密な人間関係や家族を好むのは、多くの糧を摂取できるからだ。
あなたを刺激して反応を起こさせようとする他人のペインボディに、抵抗するのはとても難しい。 相手は直感的にあなたのいちばん弱いところ、いちばん傷つきやすいところを知っている。 しかも、一度でうまくいかなければ何度でも挑発を繰り返す。 それはさらなる感情を求める生の感情だ。
これは、家族関係、親子関係の現場で、目の当たりにする現象だ。
自分が親の立場であれば、子どもから挑発を受けるし、挑発することもあるだろう。
また、自分が子供の立場の場合、自分の親に対して無意識に挑発をしているのだろう。
ペインボディは、イマココの状況に反応しているのではなく、幼少のころに残したエネルギーの断片に過ぎないかもしれないし、全く自分とは関係なく、集団、社会、民族といった世界に残っているエネルギーを、意図せずに背負っているだけの可能性もある。
まずは、ペインボディ=自分ではないということを理解する。
そして、ペインボディの声は、「今」の状況を変える力にならない。
なぜならば、「今」のエネルギーではないから。
そして、そのペインボディによる言葉や行動は、一見自分を傷つけ、自分を否定する行為のように思えるが、「生の感情」なんだということ。
言葉では「死にたい」と発しても、実は生を求める感情なのだ。
ペインボディにとっての「生」なのだろうが、それは身体の「生」ともいえるはずだ。
家族の間だと、ペインボディは有効に効果的にエネルギーを補充しようとするのはわかる。
しかし、家族の誰かが光となる。
または、この構造を理解する。
家族の中に「気づきの人」がいることで、むしろ身近であるからこそ、変化を及ぼすことができるのではないか。
これはひとつの希望だ。
重いペインボディを背負って生まれてきた子供は、ただ重たくしんどい人生を送るということではなく、その力を利用して運動家として社会に大きなインパクトを与える人もいる。
これは、具体的な人物像をイメージするとすごくわかりやすい。
ひとつ反省しないといけないことがある。
誰かの話を共感するには、そこに流れている物語を理解すようとする。
その人のエゴや欲から発する夢でもなく、その人の実体験から語られる夢でもない。
それなのに、すごく大きな使命感をいだき、前進する人に出会うことがある。
理解できないほどの実践者だ。
そんな人の相談をうけるとき、その人を信用すべきかどうか迷うのだ。
なぜか。
そこには、その人の物語が存在しないからだ。
きっと、本人ですら理解しえない重たいペインボディを背負って生きてきたのだろう。
それは、100年前、200年前、1000年前から集団の中で蓄積されたエネルギーなのかもしれない。
そのエネルギーと同一化してしまうと、争いと分断の種を作り破滅に向かうことになるが、それに気づき、同一化しないように意識的にペインボディと共に歩む決意がある人。
そんな人に出会うと、これまでそこまでを理解してあげることができなかった。
半分信頼し、半分他人事のように感じて相談を受けていたなと思う。
物語として理解できないからだ。
今週は、家族の中のペインボディがどのように挑発しあっているのか、また見つけてほしいと願っているのかを、慮ることができた1週間となった。
ここに詳細を書くことは控えるが、妻と共有できたことはうれしい。
なかなかユニークな発想だなあ。