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生命に徹する

修身を学ぶ会富山

今回の会場は、砺波市にある「せんだんのHILL」でした。





第40講 わかれの言葉


自らの生命に徹する外ない

自らの生命を捧げなければならない

やはり、偉大な作品には、この2つのテーマが必ず書かれてある。

生命に徹することと、生命を捧げること。

この両輪だ。

 

現代社会の中で、生命に徹する生き方といのうは、非常に難しいように感じる。

また、生命に徹するとは、どういう生き方を指すのか…、言葉にすること自体が難しい。


頭で考えることも生命だろうし、規則正しく脈打つ心臓の動きを信じ切る生き方も生命だろうし。

 

そもそも、「生命」とは何か?

今をもって科学では説明ができないのではないか。

生命とは何かは分からいない、これが正解なのかもしれない。


「自分は何者であるのか分からない」


分からないことに徹する。


朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり

朝のうちに、人間として一番大切な「生き方」が理解できたならば、思い残すことはないから、夕方には死んでも悔いはない。


孔子の言葉を思い出した。

 

たぶん、生涯わからないことであり、学び続けるしかないのだろう。

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