眠っている力を信じる
- yamashina shigeru
- 2023年1月27日
- 読了時間: 4分
生き方 稲盛和夫 著 読了

ひとまず気になってところをピックアップ。
人間の能力は無限。いまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると考える。自分には、まだ発揮できていない力が眠っていると信じる。
いまちょうど向き合っているテーマでもある。
眠っている力を呼び覚ますにはどうすればいいのか。
この文脈で伝えているのは、困難な仕事や依頼、頼まれごとがあったときに、どう判断するか。
依頼があったときは、もしかすると自分の能力が足りなくて難しいと思うかもしれないが、1週間後の自分、1か月後の自分なら可能なのではないか。
この可能性と、自分の力を信じるということ。
原理原則に基づいた哲学をしっかりと定めて生きる。愚直で、不要領な生き方をあえて選択することでもある。しかしそれは、一時的に損に見えても、やがてかならず「利」となって戻ってくる。
原理原則に近い学びは、実は幼稚園や小学校のときに学んでいることが多いはず。
そんなに難しいことはなく、シンプルなこと。
不思議なのが、社会にでるとこのシンプルな道を選択しずらくなってくる。
自分ばかり損をしているのではないかと思えてくる。
そこをどう乗り越えて生きていくか。
これはすごく大切なテーマだと思う。
一日一日をど真剣に生きる。目の前のことに没頭して瞬間瞬間を余念なく充実させること。それはまた、明日や将来を切り開くことに通じる。長期の経営計画を立てたことがない。
では「没頭」するためにはどうしたらいいのか。
人は「没頭しなさい」と言われて、没頭できないと思っている。
そこに自分なりの「考え方」や哲学が必要だったり、没頭する意味を腹落ちさせることだったりが必要なんだろうと思う。
ど真ん中エディットワークでは、仕事の本当の意味を考えることが、没頭するためのひとつのキッカケになると思い、取り入れている。
二次元の問題を三次元の観点から眺めることで、単純明快な解答を導き出す。それは、利己を離れた、公正明大で利他的な心によってもたらされる。
これは、めちゃくちゃ大事な視点だと思う。視座を変えること。
思考を具体と抽象を行き来させることは、とても大切なことだとおもっている。
ど真ん中エディットワークだと、MEの世界からWEの世界に広げる時だ。
MEの世界で、思考して具体的な実践を考えることができたとしても、「これってみんなにも必要だっけ」「みんなに共感してもらえることだろうか」と視座を高める。
そのとき、やはり、利他心がないとWEの世界を語れない。
自分の才能を「公」に向けて使うことを第一義とし、「私」のために使うのは第二義とする。謙虚という美徳の本質は、ここにある。自分に与えられた才能は、自分に属しながら自分のものではない。
才能は、自分に属しながら自分のものではない、という言葉に感銘を受けた。
これは命にも同様なことが言えるのではないか。
人間として与えられた生は、自分に属しながら自分のものではない。
その与えられた才能や命の使い方を考えると、自分のために利用するよりも、社会のため利用するほうが、最大限その力を発揮できることは明白なのではないか。
才能とは、自分と自分が生きている環境や社会との関係性で成立している部分もあるだろう。
そう考えると、自分が環境や社会をどう捉えているか。
才能があるないではなく、自分が社会をどう感じているか、どう考えているかに大きく左右されるのかもしれない。
生まれたときよりも少しでも美しい心になって死んでいく。終わりの価値を高めることに生の意義があり、そうであろうと努める過程そのものに人間の尊さがある。
理屈あんまり関係なく、そうだろうと思う。
こうやって言語化してくれるのはありがたい。
祈りの言葉であり、心の奥底にまでしみ込んでいる「内なる口癖」をもつ。
確かに自分も「内なる口癖」を持っている。
自分には到底コントロールしようがないものと対峙するときに、この口癖はでる。
何のために内なる口癖が必要なのかは、うまく説明できないが、確かに祈りの言葉には違いない。
そして内なる口癖を入れたことで、「自立」が促される気がする。
大きな存在を分からないから分からないものとして無視するのではなく、内なる口癖を通じて、存在を受け入れる、関係性を結ぶ。
それが、自立につながるように思えた。
祈りは、人間の大きな特徴だろう。
判断をいったん保留して、「その思いには、おのれの欲が動いていないか、私心が混じっていないか」と自問することが大切。そうやって「理性のワンクッション」を入れる。
はい。ど真ん中エディットワークでは、実践をしていく上て必要となる力のひとつとして「座右の問い」を設定してもらっている。
これがまさに理性のワンクッションになるのだろう。
座右の問いがあることで、しっかりハンドルを握り、道を歩む。
その道の先のゴールを明確に設定するのもいいし、設定はしていないとしても、ちゃんと自分がハンドルを握ること。
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