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知性を生きる

執筆者の写真: yamashina shigeruyamashina shigeru

A NEW EARTH

二巡目 第10週 振り返り


いくつか、心を揺さぶるキーワードがでてきた。


小賢しさは自分や人々を分断し、知性はすべてを包み込む。

伝えたいメッセージの大枠は理解できる。

ただ、「知性」という言葉を理解できていない。


なんとなく、知性とは思考の延長線上であり、数学的論理的な思考の積み重ねにある解答、というイメージがあった。

実はそうではない。



ChatGPTさんに協力してもらうと。


・ある問題について長く考えたあと、ふと力を抜いた瞬間に答えが降りてくる。

・直感的に「これが正しい」と分かる瞬間がある。

・自然の中にいると、言葉にできない「深い理解」が生まれる。


つまり、思考が静まり、静寂の中で沈黙とつながったときにある洞察。

思考の延長線上ではなく、思考を超えたところにある気づき。

「今この瞬間」に根ざした、直観的な深い理解。

それが「知性」だと。

 


「知性」とは、動詞に近い言葉だということなのかもしれない。

最初の感覚だと、知性とは、固定化された答えのようなイメージがあった。

そうではなく、瞬間ごとに生まれるものであり、「あり方」や「向き合い方」に近い。

知性とは「何かを知っている状態」ではなく、「気づいているプロセス」。

気づいているプロセスこそ、いまにある状態なのだろう。


「知性=何かを所有すること」ではなく「知性=その瞬間にどう存在するか」といえるかもしれない。(ChatGPT)




無意識の信念、思考の集まり そういう思考は、眠っているときに見ている夢と同じようなもので、夢を見ている人が夢を見ていると思っていないように、自分で考えているとは意識せずに考えている。

これも、衝撃的な言葉だった。

とくに「無意識の信念」という言葉にすごく心が反応した。

まったく言語化できないが、明らかに自分が無意識の信念を抱いていることはわかる。

それは一体何なのか。


自分の無意識の信念に向き合おうとすると、自分のアイデンティティを破壊される恐怖感を感じる。

無意識の信念が何なのか、わかっていないにも関わらずだ。

ただ先行して、恐怖感だけが襲ってくる。

ということは、「ある」のだろう。


「確かにある」という気づき、それに出逢いにいくプロセスこそ、知性的なのかもしれない。




エゴがつきまとう仕事、つきまとわない仕事

優れた仕事をしている人たちは、仕事をしているときに完全にあるいはほぼエゴから解放されている。

その瞬間瞬間に求められていることに充分に応え、賞賛すべき仕事を成し遂げている人たち。

彼らと出会う人たちもエゴが軽減される。

自分がしていることとひとつになれる人は、新しい地を築く。


こういった内容がつづく。


ここは、本当に思うことがいっぱいあるところだ。

どこから、どう説明したらいいのだろうか。


子どもの頃の両親の働く姿は、まさに「エゴがつきまとわない仕事」をしていた。

特に父の姿はそうだったと思う。

今も現役で働いているが、変わらずそうだ。


ある意味、その姿を見続けて育っていたからこそ、世の中に「エゴがつきまとう仕事」の存在は知っているにせよ、それは、限られた少数の人の話であり、エゴがつきまとう仕事をイメージすることすら、あまりできなかったように思う。

どちらかというと、エゴがつきまとう仕事の世界に目を向けることすらしていなかったと思う。ぼくの想像力の外の世界だった。


それはすごく素晴らしいことか。

素晴らしいことだと思っていた。

しかし、それはすごく偏った見方であることは、結婚してはじめて知る。


妻は一般的なサラリーマン家庭の中で育った。

そんな妻とぼくとの仕事の捉え方が全然違ったのだ。

これは仕事だけにとどまらず、家事についてもそうで、「想像力の欠如」「相手を慮る力不足」を露呈し、それこそ、無意識の信念が、パートナーを傷つけ続ける結果となった。

恐ろしいことに、どんなにパートナーが傷つこうが、自分の無意識の信念は、「お前が正しい」という声を発し続ける。

ゆえに、行動を改めることはできなかった。



それでも、「エゴがつきまとわない仕事」を大事に生きたことは、家族に大きな変化をもたらすことになったが、相手のエゴを軽減させるという力になったことは違いないと思える。

それは、そのままぼくにも戻ってくる力となった。



今できることはなにか。


こどもたちへ、「エゴがつきまとわない仕事」をしている姿をみせていくこと、になるのだろうと思う。

この思考自体が、無意識の信念にとらわれているかもしれないが、知性的生き方だとも思う。


常にプロセスであり、変わり続けることなのだろう。

ど真ん中を生きる。


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