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執筆者の写真yamashina shigeru

究極的には物語である

すべては1人から始まる

トム・ニクソン 著


この本をベースに勉強会をしています。

第6回目 みたらしソース部(仮)


4  誰がソースなのか





まず大事なのは「誰がソースなのか」という問いを立てることができるかどうか。

ソースが不明な状態で、新しい活動に参加することは、すごく危険だともいえる。

エネルギーの浪費になりかねない、またはお互いのためにならない可能性がある。




そして、もっと根本的なことをいうのであれば、

「そもそも、この活動は本当に始まっているのか?」

ソース原理の言葉を使うならば、イニシアチブが始まっているのかどうか。


ソースが最初にリスクをとってアイデアを実現していこうと動き出した瞬間こそ、イニシアチブが立ち上がった瞬間。

その瞬間がない状態で、形式的に組織が設立しただけでは、はじまったと言えない。


このはじまりの認識が大事だ。

そして、本当にイニシアチブが始まっているのであれば、ソースは誰なのか。

探し当てる。




ソースたる人は、単にアイデアを語るだけではなく、実際に行動を移した人物。

周りを巻き込み始めた人物になる。


そのとき、もし自分がソースなのであれば、「エネルギーシフト」を感じる瞬間がある。

自分の内面から沸き起こるエネルギーを感じる瞬間だ。


自分以外であれば。

満たされなていない創造への願望を打ち明け、その願いを満たすビジョンを生み出すことに挑戦しているのは誰だろう。

ステレオタイプに囚われず、皆は誰の声に「心から」注意を払っているのだろう。


そういった視点をもち、ソースを探し出す。




それでも、なかなかソースが見当たらない場合、どうするか。

ソースを明らかにするプロセスは、自分自身の内面から始まるということ。


つまり、「物語」なのだ。

まずは、自分が主役としての物語を生きているか。

その上で、自分は誰の、どんな物語をサポートしたいと願っているのか。


ここで示されているのは、シンプルに、ソースとサブソースという関係ではなく、物語をベースで考えるということは、お互いの立場は逆転する視点もあるし、より複雑に網の目のように絡み合っているということ。


社会的な枠やステレオタイプではなく、「物語」と自分の内面に向き合うということ。


ど真ん中エディットワークは、まさに、この自分の物語を編集すること、そして、自分の内面に向き合うワークだ。


つづく。

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