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縦糸に向き合う姿勢

朝活大学素読会


詩に云わく、邦畿千里、惟れ民の止まる所と。

詩に云わく、緡蠻たる黄鳥、丘隅に止まると。


子曰わく、止まるに於いて、其の止まる所を知る。

人を以て鳥に如かざるべけんや。


詩に云わく、穆穆たる文王、於緝煕にして敬止すと。

人君と爲りては仁に止まり、人臣と爲りては敬に止まり、人子と爲りては孝に止まり、人父と爲りては慈に止まり、國人と交りては信に止まる。




鳥ですら、自分が止まるところを知っている。

人であれば、なおさら、どこに止まるべきか分かっているはずだ。

そんな厳しさを伝えてくれている。


伊與田さんの解説ではこのように書かれてあった。



二千数百年も前からずっと継続しておるものがある。 「経」という変わらない縦糸が一本通っていて、そして横糸が時代によって動いていく。 そこに時代の模様ができていく。 縦糸がしっかりせずして、横糸だけ動いたのでは織物にならない。


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そして、古典をなぜ学ぶのか。

それは「経」縦糸をしっかりさせること。


言葉遊びになるが、「穆穆たる文王、於緝煕にして敬止すと」とある。

偉大は君子は、高い地位にもかかわらず、自らの言動を慎み、相手を敬う姿勢を怠らない。


「敬」という漢字には、「自ら慎む」と「敬う」という2つの意味が込められている。

敬(けい)と経(けい)。




大学の三綱領のひとつ

「至善に止まるに在り。」


「止」は、足跡の形であり、「歩む」という意。

つまり縦糸とは、理想に向かって歩みを止めないこと。

そこには、ご先祖からずっと繋がっている命と叡智がある。


そして、縦糸に向き合う姿勢こそ「敬」である。

自らを慎み、相手を敬う。

そういった、気概を感じることができる。

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